拈華微笑

自ずと示される道は、自ら歩むことで到る・・・自然

2023-09-01から1ヶ月間の記事一覧

茶室は『悟り装置』

私は『茶道』も『茶室』についても、門外漢であるにも関わらず、『茶の心』のようなものを知っている気になっている自分が怖ろしい・・・。 しかし、その理由はこれであろうと目星はついている。 円覚寺居士林の土日坐禅会に通うになって、毎週毎週土曜の夜…

『間』トリックス

Amazon‐Primeのおかげを持って、昨年地元スイスで観たマトリックス・シリーズ第四作『マトリックス・レザレクションズ』(仏語訳・英語版)で さっぱり解らなかったストーリーが、先日『日本語吹き替え版』でスッキリ解って、『言葉の壁』の分厚い事を今更な…

還暦ギャラリー『森』〜 花『猫』風月

花『猫』風月・・・というキーワードでこれまで何回かブログを書いた気がして検索してみると 2011年6月25日のブログ記事〜ボクは撮心家ー必撮無眼流 こんな記事に行き当たり、『必撮無眼流』のカテゴリー誕生の経緯が書いてあった。自分でもすっかり忘れてい…

St-Jean教会のサトリ

相方に、我らの友人音楽家から、コンサートのお誘いのメールがきた。 ローザンヌの教会にて夕方のコンサート・・・しかも無料。ということもあって出かけることにした。 ただちょっと気になるのは…昼寝を逃した今日は、私はクラッシック音楽を聴く際、十中八…

彼岸は悲願

自身の出生を考えたとき、『バラバラ家族』出身で、『先祖供養』という意味での『彼岸』という言葉と出会う事なしに大人になってしまった。 北海道という屯田兵による新開拓の地であれば、そういった土着・伝統色が本州と比べると希薄なことも理由であったの…

神様はギリシャ系がよい・・・

まぁ、煩悩まみれのこの世を仏教では、『色』という言葉で象徴しているようだ。(馬骨はそう理解し、それを気に入ってもいる) 今日のカテゴリー『娑婆惰罵駄』なんかも、世の中『いろいろ』あるよね〜・・・の二アンスの『色』であり、『粋』とか『艶』っぽ…

人"間"工学〜『悟り』装置としての彼岸

私がネット界上に『東洋自分なり研究所』を設立した最大の理由は、たぶん『難解な仏教の簡易化(現代化)・・・』というようなところであろうか。 仏教界において古来より『人は皆、仏性を持っている』(草木国土悉皆成仏)・・・と言いながら、現代に至って…

『仕』の字で解く涅槃寂静

私がここで、『仕』の字を漢字方程式で『涅槃寂静』を解けば、来年のノーベル平和賞並びに物理学賞は間違いないだろう・・・か? 釈尊の『三法印』の中で『涅槃寂静』は、大抵の人類にとって未だに未知の領域でこれを簡潔に解明、解説した者は稀だ。 『仕』…

『意』の字

私は今日ほど学者でなくて良かった・・・と思ったことはない。 適当なこと『馬骨の如し』と開き直れば、学術的妥当性をまったく無視して・・・というか、そもそも『漢字』には 適当な解釈を許容する『度量』を内包する非常に優れた『文字』ゆえ、『考えるな…

花も美しい・・・

私達の小さなアパートの壁の一角に、円覚慈雲老師から頂いた色紙が掛けられている。 『 花も美しい 月も美しい それに気づく 心が美しい 』・・・というもので、三十年来掛けているので陽焼けして茶色くなってしまった。 私が円覚寺の居士林に通っていた前半…

大拙東来意〜日本沈没・・・

いままで、『荒唐無稽…』の一語で避けていたNetflixのドラマ『日本沈没』にここ数日はまっている。 小松左京さんの原作はどうなのか知らないが、ドラマは令和の現代風にアレンジして、日本が沈没確実となった時、トヨタなどを想定した 大企業を身売りする形…

『天上天下唯我独尊』考

当『東洋自分なり研究所』において『天上天下唯我独尊』の解明は最重要事項となっている。 この解明が(この世を)『一切皆苦』と喝破してみせた釈尊による解決法の宣言が、『天上天下唯我独尊』であったと確信しているからだ。 今現在世の中で起こっている…

還暦ギャラリー『森』〜 宇和島の闘牛

私は自分自身を『写真家です… 』と堂々と名のる時期を持つことなしに、写真家への野望がいつのまにか尻すぼみになってしまった男ですが、 今日このギャラリーで展示する作品は、写真学校を卒業後、同校の写真科の助手として雇われの身となり、初めて経済的、…

昨日のこと

世に我が相方ほど自分の誕生日を楽しみに待ちわびる人を知らない。 流石に昔ほどではなくなったが、それでも何ほどかの事を期待している気配・・・に、私も真剣にならざるをえない一日ではある。 9月に入って素晴らしい天候に恵まれ、しきりに自分の生まれ月…

如是我聞・・・

『如是我聞』 ・・・というのは、仏経典の始めの決まり文句で、釈迦の死後、弟子たちが経典を編集する際に 仏陀の教えを、『かくの如く我は聞けり』という出だしとして使われたという。 昨日、何かを読んでいるとき、ふと眼にした言葉『如是我聞』…『 ニョゼ…

『 無 ・ 我 』

私たち漢字を使用する東洋人にとって『考えるな、漢字ろ!』はすでに『漢字』の中に『感じ・観じ』る・・・という仏陀に成るための 『悟り方程式』(システム)が組み込まれていた事は、古(いにしえ)の仏教徒、ことに禅仏教徒には自明なことであったであろ…