拈華微笑

自ずと示される道は、自ら歩むことで到る・・・自然

拈華微笑(ねんげみしょう)

 友達にボクのブロクを見てもらおうとして、「拈華微笑・ブロク」で検索すると
意外に沢山、同名のブロクがあるので驚いた。禅仏教に関係している人達が当然多い。

友達はこの言葉「拈華微笑」もその読み方も知らなかったが、まぁ無理もないか。
ボクも禅をしなかったら、こんな言葉は知らなかっただろう。

 「釈迦が沢山いる弟子の中から自分の後継者を 決めるときに 説法を待つ弟子たちの前で
  華を一本持って 弟子たちの前に静かに掲げた。 弟子たちは皆怪訝な思いであったが
  ただ一人、摩訶迦葉がニッコリ 微笑んで それに応えた・・・」という。

 大切な後継者を決めるとき これはなんと ダイナミック、かつ繊細な 方法であろうか。
 こういうことを大切にするという一事だけで、ボクが禅仏教を好きになる理由がある。

 ここに例えば禅の素晴らしさがあると思う。禅は宗教だけれど(宗教だから)、その華と
 微笑に真髄があるのみで、他の一切の違い、差別は問題にもしない、ところが。

 世間では あらゆる差別で がんじがらめで、自他を苦しめている。

 そういう場で 水戸黄門の印籠ではないが 拈華+微笑 でさらっと 通ろうではないか。

 偉そうなことを言っても、実はボクもよく解らない、考えれば考えるほど わからないので
 考えずに 感ずるように、観ずるように、感ずることにしている。

 ボクのブロクのタイトル の 説明 は やめて、 ボクの感じた「拈華微笑」を
 写真シリーズ「不立文字」で まとめてみました。 どうぞ御覧ください。
           
  

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