長い間年寄りくさい・・と抵抗があったこの習慣がいつの間にか、すっかり板についてしまい
こうなったら、 ”まな板の鯉の覚悟” という悲壮感をじつは持って この素晴らしく
平和な湖畔の散歩道を歩いているのである。(はた目からは決してそう見えないと思うが)
24,5年前東京から2週間の休暇でここローザンヌに来て、初めてこの湖畔を散歩した時
竜宮城ボケ・・の危機感を感じたほど 絶望的な静寂・平和感に襲われた事は忘れられない。
こんなところに住んでいたら「ボケちゃう!!」・・とボクの第六感はボク自身に警告を
発し、(禅修行で使う寝ぼけた輩をひっぱたく棒)「警策」でもって絵に描いたような
うそっぽい静寂を一棒のもと、こなごなに破壊するつもりだったのが、現在ミイラ取りがミイラ
になってしまう一歩手前まで堕落してしまった。
それでも今日の湖は結構強い風があり、散歩する人もほとんどなく、場所によっては波頭が
一段高くなっている散歩道を濡らし、この湖も多少は大自然の気概は持っているのか。
鉄舟の一句 「晴れてよし 曇りてもよし 富士の山」そのままのレマンの湖というところ。
ボクは江戸っ子の母と道産子の父の間に生まれたハーフの性か、一見借りてきた猫のように
音無しい・・ようで、一面気が短く、白か黒かはっきりしないと気が済まない性がある。
そのせいかボクの写真も モノクロ時代の作品はやたらコントラストが強い傾向があり、
デジタル時代の現在でも色がキリリと締まっていないと嫌なのである。
だから、よく見かける "毒にも薬にもならない”作品が一番嫌い。 歳と共に少しは丸く
なってもいい頃だと思ったけれど、昨日の集会の齢80歳のガキども4人を間近に見るにつけ
ボクなんて、まだまだ可愛いネンネ坊や なんやナー・・・と思うのである。