拈華微笑

自ずと示される道は、自ら歩むことで到る・・・自然

“不動明王” の 涙

 こちらヨーロッパでも「Zenでいなさい」などと云う表現がよくつかわれる。
 これは「冷静になりなさい」・・というほどの意味のようだ。

 ボクは禅の修行を5,6年やった人間なのに 禅のことをよく解ってない愚か者だが、
 山門には通る者を恐ろしい形相で睨みつける仁王様、修行道場には憤怒の相で我々修行者を
 睨みつける不動明王が祀られていて、なぜ穏やかな仏像でなかったのか・・・という疑問もとくに
 持たなかったが、修行の半ば頃にはその理由が身にしみてありがたいと思えるようになっていた。

 ボクが修行を始めた30年前頃は禅がたまたま流行していた時で、本屋に行っても禅関係の本が
 沢山でいるような時代だった。ボクの場合その流行に乗ったわけではなく、写真家として喰って
 行けない前提で「手に職を」という軽い気持ちで当時大流行の兆しがあった東洋医学の門を叩い
 たら禅の門に通じていた・・・というわけである。

 小さなお寺で月二回の修行を1,2年、本格的な土日坐禅会2,3年をへて僧堂接心に4年通った。
 ボクの修行中、禅はかっこいい・・・と思っている「オッチョコチョイ」が沢山、禅門にやって来たが
 だいたい1回か2回来たら、もうこなくなる。ボクの先輩が「毎年たくさんの人が来るけど一年に一人
 続ける人間がいたらいいほうだ。」と言っていた。それを聞いた時、ボクは足を洗うことが出来ない
 ほど禅の泥沼にハマっていた自分に苦笑いしていたのだと思う。

 禅修行の基本には「慈悲」があり、修行者の「智慧」覚醒のために全力が尽くされるわけだが
 叱咤激励という方法が徹底される。優しく手取り足取り教えて、百年かかるところを叱咤激励で
 5,6年で仕上げてあげよう・・・という親切心(老婆心とも云う)が基礎になっているので
 覚醒に関係ない一切の行為は 怒鳴り声で奪いとってくれる・・・という親切さだ。

 この親切さがわからない者は怒鳴られて、ぺしゃんこになって帰ってしまい、二度と戻って来ない。

 ボクは禅の基礎が本当はこの辺にあるように思う。我々の心身には独りで力強く生きることが出来る
 力が秘められ、それは不動明王の憤怒力によって引き出され、引き出すのが 禅であると。
  (灸のあの 猛烈な 熱さによって 体の回復力が 喚起される如く!)
 
  西洋の人が軽く口にする「Zenでいなさい」の奥に 不動明王の涙が 流されている事を
  知る人は少ない。