特にわれわれ日本人は その問題に直面を強いられていて それを無視して 生きて行くことはできない所まで来ている。
原子力なんて 訳のわからないものは その専門家の先生方に任せて おけばいいじゃん・・・と云うことが出来れば
まだいい方だと思えるくらい、ボクは 全く何も考えずに 来た。 そのツケが よりによってボクの 故郷である日本
に ドサッと来てしまった。
よく云えば その方面の専門家の先生方を 信じていた・・・。 悪く云えば なんだろう? ・・・なんの言葉も出ないくらい
自分のバカさに呆れ、 専門の先生方のいい加減さに 憎悪するよりも 絶望に近い 失望感に陥る。
ボクには子供も いないし 現在 日本にも 住んでいない。 もし日本に住んでいて 幼い子供なんかがいたら
どうだろう・・・。(田舎北海道の親戚連中は 何の問題意識も持ってないように見受けたが・・・)
チェルノブイリ事故があったのが1986年の4月で その時ボクは スイスにいて翌年の 7月に日本に帰国した。
事故当時は 全く言葉のわからない、スイスフランス語圏にいて チェルノブイリ事故の重大さがわからなかったし、
帰国後もどうやって生活するか、禅の修行をどういう形でやるか・・・など、そんなことに忙しくて原発の恐ろしさ
など考えもしなかった。
今現在、その恐ろしさを知って 、とくに放射能が子供を直撃すると知って あらためて 子供の存在に思いを馳せる。
彼等の存在は じつに 何ものにも代えがたい 存在。 ボクができるささやかなことは それを写真でみてもらう
こどだろうか。 原子力よりは 元気な子ども の 存在力 ではないだろうかと・・・。
