なのに どういういきさつか 論じなければならない 流れになってしまった。
写真てなんなの?・・・なんて普段 そんなこと考えて 撮ったりしていない 、普段と云うより だいたいそんな事
考えたこともない・・・かも。その必要も 感じたこともない。
問題は 金銭ではなく 琴線なのだ。 だから この我が琴線が 振るえるかどうか?・・・が最も重要というより
それなしに 撮欲がぜんぜん 湧かないのだ。
これは理屈ではなく 気持ちのもんだいなので 考えても仕方がない事は はなっから感じていた。
だから、 たいした事無い写真に ああだ、こうだ理屈抜かしている 奴らがいるが
だいたい、視覚芸術に 説明が いるのかい?・・・とボクは思うんだけど?
それって 例えば “愛” とか云うものも まったくおなじじゃないだろうか?
金銭じゃ ぜんぜんなく 問題は琴線に振れるかどうか だろう。
だいたい ボクの写真論て だいたいこんな所に 落ち着くにきまっているので、写真論にならないのだろうな。

ボクの必撮シリーズの一つ i-shi : 無機物の石なのに 人間以上に意思を発露した創造物への尊望