ボクは禅について 語る資格は 一切ない・・・とお断りしたうえで
今ボクは 禅修行体験から 体得、感得しと事を 話してみたい ような 衝動にかられている。
というのは 禅とか 道元とかは 聞いたことがある人でも 臨済(リンザイ)という人の 名は 殆どの人がしらない
ということに 納得が行かない・・・ということがあるからだ。
9世紀中国の禅僧「臨済」の指導スタイル(家風)は彼の弟子たちが残した“臨済録”に余すところ無く記録され
その透徹した家風ゆえ 今もなお禅の主流として禅界をリードする一派・臨済宗を形成している。
ボクが禅修行をした 寺がたまたま臨済宗で あったことから 臨済の人となりを この臨済録を通して
老師から話をきいたり 鈴木大拙の本で読んだりして 少しずつ薫陶をうけた。
と云ってもずーっと長い間 臨済さんが 言っていることは ちんぷんかんぷん で あったけれど
いつの頃からか 一切の装飾を 剥ぎ取る 物言い・・・そこに愛以外の何ものもないと 思えた時
わからないなりに とても重要な事を 言っている・・・と思えるようになっていた。
よく禅を極めた 優れた禅僧は 「味噌臭い味噌は上味噌にあらず・・・」と、臨済的な つまり
いわゆる禅的な言動をする人を 本物ではないと評価しない傾向がある。
確かに世間一般では 臨済のような言動ではいろいろ問題がおきそうであるが こと修行道場という
限られた場所では 何の遠慮もなく どんどん 余計なものは たたっ斬てしまう力量が必要であると思う。
まぁ、結論から言えば ボクは臨済さんのやり方が 好きなのだ。(むしょうに眠くなったので続きはいずれ書きたい。)
