気落ちしない方がどうかしていると、やはり落ち込んでいるようだ。
それも 何年か後には良い方向にどうにかなる、というならまだしも
何十万、何百万年という単位で毒が消えない・・・。
そんな状態なのに 瓦礫処理拡散とか 食べて応援とか わけわかんない馬鹿なこと奨励している
同胞がいることに 深く落胆する。
枯れ葉は散ってくるし、仕事は例年に無くやたら忙しいし 体も心もくたびれている。
そんな中で 写真のことを考えた。
写真=真を写す・・・と読むと 何と真が写ってない写真が 多いことか。
だから 写真であっても ボクから見れば写真とはいえない 写真が存在する。
写真=真(心)が写る・・・と読むと 写真を撮るものの 心の状態が鏡のように
写しだされる、という意味では 真を写すといえるだろう。
写真とは 上手く言ったものだ 撮るものの 心がそのまま 写ってしまう。
