拈華微笑

自ずと示される道は、自ら歩むことで到る・・・自然

生活保護

  山本太郎が選挙中に 始めた 様々な社会問題について ゲストと共に 学び、考えてゆこう・・・という主旨の 短時間でありながら
  要点が非常にわかりやすい 動画シリーズ 「本当のことを言って、何か不都合でも?」が議員会館の彼の部屋から 再びはじまった。

  今日のゲストは雨宮処凛(かりん)さん。面白そうな経歴の人で ボクと同じ道産子だし(世代は違うけど)いつか彼女の本を是非読みたい。
  テーマは“貧困”で 主に「生活保護」について語られている。

   このサイトで 是非ご覧ください。  http://www.ustream.tv/recorded/37638067 (コピー&貼り付け)
 
   この中で話されている悲しい実例の後 太郎さんの言葉が 耳に残る。

   「政権交代して(自民党が)一番最初にやった 大きなことが 生活保護の引き下げ!・・・」

  ところで生活保護というと 母子家庭のうえに 母が病気がちであった ボクんち は生活保護を受けていた。
  どのくらいの期間受けていたのか? どのくらいお金をもらっていたのか ボクは小さかったし 育ての親の方にも 出入りしていたし
  それについては ほとんど何も知らずに 大きくなっていった。ただ、小学校4,5年生の時だっただろうか? 
  母と行ったか、姉とだったか、よく覚えてないが クリスマスの日だったと思う。 市役所に行って 子供服のお古を沢山もらえて
  うれしかったのと 同時に 何故もらえるのだろう?・・・と考えたあたりから ボクんちは 生活保護 というようなものを国から
  貰っているのだなぁ・・・と 薄々 理解した、ような気がする。
  考えてみると 家には水道が無かった。 外に出て10mぐらいの所の水道から バケツで水を汲んで家の水瓶に溜めていた。
  ボクも水汲みをしたと思うが、その頃母の心臓病への理解がなく 時には文句も言ったような気がする。
  同級生の家などと比較したら一目瞭然の貧乏さであったであろうが、 比較する知恵もなく 遊ぶことばかり考えていたガキであったので
  自分の家が貧乏であるなどと 一度も思ったことはなかったようだ。
  母が体調が良かった時 一時パン屋さんに勤め 毎日 色々なパンの耳やらクズを 持ち帰ってくれて 嬉しかったことや
  会社の慰安旅行で 母が楽しそうにしていた事などを思い出す。母は46歳で他界した。

          
        先日のスイスの建国記念日8月1日の打ち上げ花火・・・これをお盆として母に捧げる 親不孝者