拈華微笑

自ずと示される道は、自ら歩むことで到る・・・自然

義兄

  8月24日の夜 姉から電話がかかってきて 義兄さんが 逝った・・・と、小さな声で言った。

  この日の午後、ボクは義兄さんに 送る写真を選んで 焼いて それに添える 手紙を書こうとするが 筆が進まないうちに 夕食を招いていた
  日本人旦那は64回目の誕生日と その奥さんスイス人の 友人夫婦が来てしまって 5,6行書いてそのままに なっていたのだ。

  手紙を書く為に 義兄さんとの 思い出をあれこれ 思い出している頃 義兄は 逝ったようだ。

  姉が結婚してまもなく 母が死んだので 名義上 義兄が 16歳だった未成年者のボクの親代わり・・・ということになった。
  義兄も母子家庭で育ったが 彼のしたに妹2,弟1人がいたので 自分より年下の者の扱いに慣れていただろうけれど
  一回り12歳年下の高校一年生のボクに なんて言ったらいいのか 人見知りしがちなボクに 何にも感じさせないくらい 極自然な
  人懐っこい笑顔を向けてくれた。

  仕事は国鉄で保線作業をやっていたようだ。(考えてみると、彼の仕事について質問したことがない。)冬はシバレルという方言があるくらい
  凍てつき凍える北海道の保線作業だから 辛かっただろうけど、一度もシンドイような素振りや表情をボクは観たことがなかった。

  とにかく真面目一方の人だったけど、どんなことでも楽しみを見出すことを忘れない人であった。
  オートバイの手入れをしている時には 一生懸命手入れをし、その工具や それを置いてある物置でもキチンと 整頓してあった。

  ボクなんか禅の修行やっても いまだ身につかない行状が 義兄は当前のこととして スースー、と自然体にやっていたっけ。

  高校時代は よく姉夫婦の家に遊びに行った。 卒業して東京や神戸に住み着いたボクは 道内をあちこち引っ越す姉夫婦の家も訪ねた。
  ある時、訪ねると見知らぬ二人の子供がいて、どっから来たのだろうか?・・・なんて真面目に考えたものだが、いつも楽しい思い出が残った。

  退職して田舎北見に家を構えた姉夫婦は 息子、娘も一人前になって 幸せそうだった。
  5,6年前にスイスを基点にしてフランス、イタリア旅行をした。 その後スカイプで話す様になるが、その時行った観光地がテレビで
  見られる事を 得意気に喜んでいたなぁ。
  鶴は千年亀は万年みたいな 病気知らずの義兄が 73歳で こんなにあっさりと 逝ってしまうなんて・・・。 人懐っこい笑顔を 残して。


              38年ほど前に 姉夫婦を訪ねた時の図