拈華微笑

自ずと示される道は、自ら歩むことで到る・・・自然

馬鹿の瞳

  中年過ぎてからだろうか?『馬鹿』という言葉が自分の口から頻繁に出てくるようになり・・・漠然ながら何故『馬と鹿』なのか?・・・というような疑問が
  ここ数日ボクの頭を占めていた。
  ネットで調べると いろいろ書いてある、 中国の古い逸話や仏教の流れの中から生まれた言葉が 日本に来た時に 日本語の当て字を使った
  結果が 『馬鹿I になったようだ。

  しかし、それでは納得しないボクがいて、 あれこれ考えた結果 自分でもなるほど・・・と十分納得出来る 新解釈ができた。

  ボクが他人を『馬鹿!』と怒鳴る時・・・(実際は心の中だけだけど、相方以外は)それは 思いやりのない行為に対して 怒った時にでる言葉であって
  決して その人の能力が劣っているとか、ちょつとした勘違いによるミスを 指摘する時に使う言葉ではないようなのだ。

  別な言い方をすると 知能指数の IQ ではなく 心の知能指数 EQ が 人生には 最重要とボクは信じているわけだ。

  仏教で無明(智慧のない愚かな行為)むみょう・・・というが、その意味を日本語で表す言葉を探す過程で 発音の面から 馬と鹿の文字が
  当てられたわけであるが、これはボクは偶然ではなかったと思うのだ。(ここからは一撮流解釈)

  『馬鹿』でいう 馬と鹿の共通点はなんであろうか?・・・と考えるに、 それはなんといっても 優しさに満ちた 大きな瞳ではないだろうか。

  仏教は色々 難しい事を言っているが 詰まるところ 『慈悲と智慧』で、 わかりやすい言葉で言うと 『優しさ・思いやり』である。
  つまり馬と鹿は 慈悲と智慧の象徴なのだ。(たぶんインドではそれは牛が担っているのだろう)
  実際、仏教では『馬頭観音』があるが 頭部に馬の顔面で 姿は憤怒の仁王像になって 慈悲と智慧の足りぬ者を 怒っている。

  そう考えると 『馬鹿!』って怒ることにも 我ながら納得いくわい。
              
                                 チューリッヒにある博物館の美しい観音様