拈華微笑

自ずと示される道は、自ら歩むことで到る・・・自然

仏隠し

  今年の秋 義兄が逝ったことで 『死』というものが、ぐっと身近になった感じがする。

  そして、彼は実際『死』んだのだろうけど、『神隠し』のように 消えてしまったことが なんとなく納得できないでいるのは
  葬式に行けなくて、ケジメがついていないからなのか。

  禅修行中 常に問題されるのは『生死』であって 『生』、『死』と、わけて捉えることが なかった。

  我々は大半の人が 仏教徒として死んで行く のだから 生死ぶっ通しの中での 神隠し・・・つまり『仏隠し』ということになる。

  『神隠し』というと なにか不安が伴うが、 『仏隠し』だと成仏ということで 水が上から下に 流れるようなもので 何の心配もいらない。