禅の修行はしたものの、無欲からほど遠いボクには 禅語としてはもう一つ面白味に欠ける・・・この書を これまた無欲からほど遠い相方の
所望によって 彼女の部屋に掛かることになったわけであるが、 『書』の熏習とは怖ろしいもので 最近この書が持つ深い味わいなどが
無意識な我々の心にも 薄くまとわっているような気がしてきた。
ボクなどは最近 この『無欲一切足』こそが 仏教の真髄なのでは・・・なかろうか?と思うにいたっている。
この書は 一般的に読めば 『無欲であれば 一切が足りている』であると思う。
禅的に読めば 『一切が足りて 欲無し』で より現実的で 痛快だ。

毎朝の体操・・・ハンドル状の輪は数回使ったのみ、この書による完全な熏習には、あと30年はかかるだろうよ。