拈華微笑

自ずと示される道は、自ら歩むことで到る・・・自然

必撮無眼流 - 本質を見抜く

  ボクはスイスに住んでいる。こちらに来てもう23年目になるというのに、3・11以降は特に、一日として日本を意識しない日はないと言っていい。
  5,6年前からインターネットで日本の情報を『情報』と意識する必要がないほど日本で起きている出来事はメディア・レベルからブログ
  ツイッター、フェイスブック、ツイキャスなど個人的レベルまでの情報を日常的に受信できるのであるからなおさらであるし
  まして3・11以降、天地がひっくり返るほど予想もしない方向に日本が向かおうとしている状態になった我が祖国に日本人として
  無関心でいられるわけはないのだ。

  そうでなくとも、海外に住むという事は じつは即、自分をして日本を意識せざるを得ない環境に身を置く事なのだと思う。
  だいいち日本に住んでいた時 自分が日本人であることを意識などしたことがない事を考えてもわかる。

  そこで思うのだが、例えば先日『文楽』を観ている時も 一時(ひととき)文楽そのものに見入るわけであるが、三味線を弾いている、このお兄さん
  大きな声を張り上げているおとっつぁん達は今の日本をどう考えているのだろうか・・・などと思い至る自分が紛れも無くいるということなのだ。

  福島から遠くに住んでいる日本人が 福島の人々の苦しみに思いが至らない(そこにはマスコミの情報操作もあるだろうが)
  或いは、ツイキャスを見ても沢山のギャル達が関心を持って見入るのは 自分と同世代の関心ごとに集中している。
  それはそれで当たり前なんだけど、しかし3・11なんだよなぁ・・・などとボクは思ったりしている。

  ボクらは何をしていても 基本的に3・11以降に起きていることに無関心でいては ならない・・・ということをもっと強く意識すべきだと思う。
  それほどの危機感を持たなければいけない・・・と思う。今の日本は『自由が侵される』なんていう生易しいレベルではない。
  
  今日もインターネット・ラジオ(Podcast)でお医者様の『めまい』について話を聞いていたが、聞き入っている時は気付かなかったが
  ふと我に返って、そのお医者様が彼の病院から見える山々の景色(東京)が素晴らしい・・・という話を聞くにいたり、一体この放送は何時収録
  されたのだろうか?・・・などとその脳天気ぶりに仰天するのだ。そこには被曝の問題がスッポリ抜け落ちている。その異様さ。

              
                 先日VeveyのImages展を二度目に見に行った時一撮したもの。