拈華微笑

自ずと示される道は、自ら歩むことで到る・・・自然

チャーリーは犬死にせず

  昨日のシャーリー・エブド社襲撃事件は フランスのみならず ヨーロッパ中に悲しみの衝撃を与えた・・・。

  しかし、じつに不思議というか、あるいは不思議でもなんでもなく 殺された彼等の生きざま、人柄が そうさせるのか 

  この雑誌社のメイン編集者全員が殺されて ほとんど抹殺状態になったのにもかかわらず 暗く打ちひしがれた雰囲気ではないのだ。

  まず、メディアが、そしてフランス政府が、国民が一体となって この知る人ぞ知る的存在で経営も苦しい小さな週一発刊の社会風刺紙

  発行社シャーリー・エブドの妥協せぬ『表現の自由』の意思の炎をこのまま消し去っては『ならぬ』・・・と、 

  フランス各都市の広場に 自然発生的に大勢の人々が集まり、尋常ならざる『連帯感』を創りあげている。

  人々の手には 『 Je suis Charlie 』(私はチャーリー)のプラカードや 表現の自由を象徴する『ペン』が掲げ上げられていた。

  この事件の背後には いろいろな問題があって単純に 話すことなど出来ないであろうけど、いま大切なのは『表現の自由』は暴力に屈しないのだ・・・

  という社会にたいするメッセージを確認しあうことではないだろうか。

  現在、どこの国民も様々な問題から『表現の自由』を奪われる傾向にある時、この事件はその問題の重要さの再確認に気持ちを向かわせる動機と

  なる気がするのはボクだけだろうか。 シャーリー・エブドのメンバーの死を 犬死にさせないためにも

  特定秘密法案などで 我々日本人の『表現の自由』を侵害しようとしている安倍政権に対して抗議行動を起こす追い風として活かすべきだ。