本来は村の教会でおこなうのであるが、15人の子供達が洗礼をうけるとなると、その家族や親戚一同が会するには狭いので、村の会館でとり行われた。
スイスに来て初めてこういった儀式に参加した感想であるが、
例えば この儀式は日本で言う『成人式』ではないか・・・と思えた。キリスト教以前の部族社会でも15,6歳ごろになると大人の仲間入り的儀式がとり行われたと
思うが、そういった習慣が延々と形を変えてヨーロッパに伝えられている儀式がこの『洗礼』ではないだろうか。
こちら(スイス)に住んでいても、教会に出向いて祈りを捧げている信者はほとんど見かけないし、実際普段出会う若者達もキリスト教を信心している人達は
皆無に近い・・・というのが実態の中、村が中心になって子供達にこういった儀式をとり行うというのは、良いものであると思った。
子供から青年に、そして成人となるにつれ霊性的なるものから遠ざかる傾向にある現社会にあって、その基盤となる思想というのだろうか?そういったものを一度で良いから
考える機会を与えられる事は重要であると思うのだ。自分の日本におけるそういった情操教育を振り返った時、余りにも個人的『縁』に委ねられている観がある。
(或いはそれはボクの場合が特殊であったのかもしれないが)
『洗礼』を受けたと言っても、ジョナス自身は仏教徒の父とプロテスタントの母の間で生まれ育った、ということもあってか
キリスト教をもっと覚めた目で見ているようだ。
この日、ボクがジョナスにプレゼントしたのは 彼の名前入り『カランダッシュ』のボールペンと 我が写真でマリアを撮った一枚の裏に
たまたまその前日みた映画、デンゼル・ワシントン主演のメチャメチャ強い男『イコライザー』の出だしに紹介されていた一文を書いた。
『 人生には誰しも 2度最重要な日というものがあるが、一つは自分が生まれた日であり、もう一つは生まれた理由がわかった日である・・・』 マーク・トウェイン

ジョナスが洗礼を受ける際、ゴッド・ファーザーとマザーは聴衆の前にいかなければならず、ボクは焦った。