ゴーギャン展
我々は2泊3日のプチ・バカンスをストラスブールで過ごすほとんど無計画を立てていた。
で、バーゼル経由の電車で約3時間半の旅にでる金曜の朝、ボクはふと経由地のバーゼルでゴーギャン展を行われていることを思い出し、相方に相談すると
余りにも急な提言なのでブツクサ文句を言いながらもPCで切符をダウンロード。朝はノンビリして出かける予定を急変して大急ぎでそれぞれのスッチーカバン
を準備して電車に飛び乗った。
思った通り、Beyeler美術館は混んでいた。フランス語のオーディオガイドを借りて見始める。
画家の絵を見るにあたって、その人物の経歴を知ることが重要・・・であるか?どうか?
そんな事を改めて考えさせられるゴーギャン展であった。
彼の絵だけを見た場合、ボクはすんなりと彼の世界には入ることができなかった。 オーディオガイドを聞いてももう一つピント来るものがなかった。
それはゴーギャン展のあとに、美術館コレクションのゴッホ、そしてバルチウスの絵を見た時、彼等の絵には何の説明なしに強烈なメッセージの
ようなものを肌でキャッチすることが出来たので、その『点』が余計にボクの中で気になったのだ。

ストラスブール
この街には今回で3度目で、なんども通った場所のようなところでも新しい発見が幾つもあってとても楽しい小旅行であった。
街のど真ん中にある赤いカテドラルの塔の高さに新たに感嘆、ちょうど今年建設1000年記念だそうで、現西洋文明のシンボルであるロケットを思わせる
建築物を目前にして西洋文明の限界と野望の無限を見る想いで、いろいろな考えがボクの脳を駆け巡った。
翌日土曜日は商店も開店しているので張りきって街に出かけたが、物凄い冷たい雨が一日中降って午後2時過ぎにはホテルに戻って夕食まで休憩。
復活
仏教を宗教として捉える試みを始め『施無畏』に行き着いたが、その先にはもちろん究極の『生死』があった。
その流れでメメント・モリ(死を想え)を考えた時、十字架のキリストについて新たな観点を得た思いがした。そしてやはり『復活』があったか。
ただ、キリスト教と違うのは仏教(禅)は生と死を分けない!ところが肝心であることだと思う。