拈華微笑

自ずと示される道は、自ら歩むことで到る・・・自然

イエスはヒットラーを愛したか?

 この週末、日本語字幕でブラット・ピット主演、ダビッド・エアー監督の戦争映画『Fury』を見た。
 そもそも『Fury』が『激しい怒り』・・・とは知らずに見ていたが、初っ端からブラピがドイツ将校の顔面にナイフを突き刺す場面があって『エッ!!』 
 
 アメリカの戦争映画だから『戦争賛美』物?かな・・・と思って見てたけど、逆だった。
 いま、安倍政権は『戦争できる日本を取り戻せ』と躍起になっているようだが、この映画を見て考え直した方がいい。
 この時代の戦争は『戦う』事が出来たからまだいい、これからの戦争は 敵の姿すら見えない遠隔ボタン操作で爆撃されて死んでいかなければならない。
 『血で血を洗う』・・・みたいな負の情感すら持てないうちに死んでしまうのだ。

 第一、戦争をしなくても、今の日本は戦場みたいなものだ。あらゆる場面で『人権』を無視した行政を強いり、一方で『放射能汚染』をほったらかして
 再稼働を企んでいる安倍政権の存在は、我々が戦わなければならない敵そのものだろう。

        
        やっぱり、映画はこういうエピソードを知ることでより深まるね。

 先日の復活祭連休でストラスブールに行く以前から『十字架のキリスト』が頭の隅から離れなかったが、ストラスブールの教会でこんな十字架を見た。
 小さい頃からこの十字架を見て育った西洋人は、この十字架のイエスをどのように捉えているのだろうか?
 ボクには『死』の象徴のように見えて、『メメント・モリ』=『死を想え』と映るが、古代ローマでは『今を楽しめ』』的な意味合いで使われていた言葉らしい。
            
                

         
                まさに復活祭の日に目にしたストラスブール大聖堂での風景    

 映画『Fury』ではブラピの部下の一人に『バイブル』のニックネームの兵士がいて、聖書の句が何回か引用する場面が出てきて印象に残った。
 戦死した日本兵は仏教の釈迦のどの言葉に生死したのだろうか?