その事柄というのは、ボクが自分の人生において『写真』と関わることを選んだ理由・・・になるかもしれないと思った。。
ボクは理解したことを言葉ではなく、別なことで理解しているのではないだろうか・・・ということ。
例えば、『色』。言葉では限界があって言い表すことが出来ないように、我々人間の思いの何%を言葉の表現に頼ることが
出来るだろうか?
優れた俳句は 限られた言葉数で 言い表されていない事柄を 表現するわざ・・・だと思う。
そんなように、ボクは出来るだけ言葉を介さないように、『写真』を。
言葉を介しても出来るだけ短いことが大切であると、今までは無意識に理解していたようだ。
逆に見ると、世の中『言葉』に翻弄されている人間がなんて多いのだろうと、思う。
言葉が増えると、どんどん本質から遠ざかるのに・・・。
こういった点からもボクが『禅』に出会ったことは、必然であったのだろうか?
