拈華微笑

自ずと示される道は、自ら歩むことで到る・・・自然

必撮無眼流 〜 走れメロス (1978)

 『2週間のバカンス』『ホームページ』『気になる昔の写真の作品化』・・・などのキーワードがバカンス前からボクの顔面前に、馬には人参のごとくぶら下がって強迫観念症におちいって、
  早くも一週間になろうとしている。ボクが写真家であることを知っている数少ない知人たちは、会うたびに『写真を撮ってます?』の挨拶代わりの質問をしてくるが
  『それどころじゃない!撮り散らかした過去の写真どもを少なくとも発表できる作品として形にまとめるのに気が迫ってますだに・・・』とも言うわけにもいかず。

  だいたい、写真家というものは、撮るだけではなく撮ったものを自身が納得できる形にすることもまたさらに重要なのだ。

  それにしても、今回まとめた『走れメロス 1978』は、今から38年前・・・ちょっと遅すぎでは?、、、
  たしかに、しかしだれでも簡単に写真をスライドショーにして見せることが出来る時代が来るとは予想もしていなかった・・・
  それが可能な時代を迎えたボク、そしてそれまで、じっと我慢・・・というか単に怠惰で放置していたことは、幸いであった!であろうか?

  とにかく38年前、芦屋芸術学院写真科助手だったボクに、デザイン科の生徒だったK君が演劇+舞踏の写真を撮らないか?・・・と声をかけてくれたのがキッカケだった。
  どういう意図でボクに撮影をたのんできたのか今だによくわからないが、10月下旬の大阪厚生年金ホールでの公演までの約一ヶ月、といっても毎週末の撮影であったと
  思うが、林田舞踏研究所という大阪のどこであったかわすれたが、そこでの稽古風景を主に、本番までの様子を撮影した。
  
  走れメロス・・・については原作(太宰治)も読んでおらず、演劇とか舞踏とかの世界に縁が無かった若き一撮(当時26歳)ではあったが、出演者の大半の若者たちが
  新聞の?公募によって集ったということと、演劇、舞踏の指導者達も暖かい目で迎えてくれているようで、遠慮無く写真を撮れる場を与えてもらえたことを喜んだ。

  そこで出逢った人々、舞踏振付の林田鉄先生、演出の小松徹先生、沢山の若いダンサー、衣装の真野さん夫婦、メロスを踊った久本さん、グループのリーダー格の馬原さん
   (公演後間もなく事故で亡くなった)など、などとの思い出。演劇がどのように作られていくのか、その過程をつぶさに観察する貴重な体験をさせていただいた。
  それにしても、ボクの写真は公演の為のパンフレットに使って頂いたものの、解散後も写真をまとめよ、、、とかいう依頼もなく、自分自身もまとめる意思もなく
  今日まで放置していたことは、面白い(そんなのがまだあるが。)

  まとめるにあたり、スライド・ショーが可能であることが、どんなに有難いことであるかと強く思う。
  写真以前に映画やTVの影響をたっぷり受けた一撮には自己の写真をよりよく表現する意味で音楽の存在はMustであるから。




                 
                    あれから38年の歳月が流れ、彼等はどこをどんなふうに走っているのだろうか?