『 自分の感情を大切にしながら、しかも感情だけに流されないよう知性でコントロールする。
それこそが人間らしさと言えるのかもしれません』
『本書のテーマである『感動』。 これこそが分化されたさまざまな感情を再び集約した結果生まれた、最も人間らしい
心の動きではないかとおもうのです。』
『 「感動」というものは、喜怒哀楽の中の一つだけで生まれるものではありません。様々な感情の糸が複雑に絡みあった
中から生まれてくる。だからこそ本当に感動を味わった時には、「とても言葉では言い尽くせない」ということになるのでしょう。
一言では表現できない様な複雑な感情。それが感動という心の動きなのです。』
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このあたりを読んだ時、
ボクは仏教で言う 『慈悲』=『感情』で『智慧』=『知性』。 そして『感動』というものが『悟りの本体』・・・
という風に解釈すると、『仏教』も『悟り』というものも、より身近に血の通ったものとして親しみやすくわかりやすく
なるのではないだろうか!と閃いた。
仏教も禅も 誰もがひいてしまうほど『深淵』なものとして、近寄ろうともしなくなっている。
考えてみるとボクも禅を体験したり書物を読んだりしても『感動』というわかりやすい単語は一つも出てこないにも拘らず
禅語で『感動』を表してない言葉は一つもないことに気づく。
『天上天下唯我独尊』 『独坐大雄峰』 『遊戯三昧』 『随処作主』『花を弄すれば、香り衣に満つ』 etc 〜
だいたい『悟った人』が人間味の欠けた人である分けがないのだから 人間性の塊、つまり感動の塊であろう。
そう考えたら仏様がもっと身近に思える。