このドラマは1973年の同名のユル・ブリンナー主演映画をベースにしている・・・というからある意味驚く。
というのは、作品内容から考えると、AI(人工知能)が話題になっている昨今こそ…と思われる話が、1973年に
映画になった、しかも、ユル・ブリンナーがロボットとして演じて!!
それは別として、この映画には『マトリクス』とは別な角度から同質の感動というか、驚きを感じた。
ボクは西部劇が好きじゃないので、最初は『なんじゃこれは…』と思っていたら、西部劇の舞台から急に近未来的
舞台になって・・・実はこの話は近未来人がストレス発散する娯楽場としての西部劇ワールドに遊びに来ては
AIロボット相手に殺人あり、強姦ありのなんでも好き勝手出来る娯楽施設という設定で、そこでロボット達が
だんだんとアイデンティティーを持ち始める・・・という内容のドラマなのだ。
例の『ブレードランナー』もそうだったけど、AIの行き着く先はやはり『アイデンティティー』という問題になる
というところが、最も人間的命題となるところが皮肉手にももっとも面白い点だ。
このドラマの中で、すでに目覚めたロボットが他のロボットにある言葉をささやく
『激しい喜びは 激しい破滅を伴う・・・』というものであるが、これがキッカケとなって自己を深めてゆく…のであるが
このあたりを見て、ボクは禅の公案を考えていた。
ロボットでも人間でも 目覚めるためには それを喚起する『決定的言葉』が必要なのでは? ないかと。
若者はある一定の年齢になると旅にでたがるが、それは自己を喚起する『言葉』を求めての旅ではないのだろうか。

『 激しい喜びは 激しい疑問から生まれる・・・』これが、ボクが若者に与える公案だ!
*公案(こうあん)とは 〜 禅の祖師たちの具体的な行為・言動を例に取りあげて、禅の精神を究明するための問題