今年の五月は、まるで梅雨。 ここはスイスだよ!・・・
といいたいところだが、4年前までは毎日引っ越しの仕事で、天気なんてどうでも良くて全く気にしたことはなかった。
実際、引っ越し作業自体は85%室内と倉庫作業、あとはトラックでの移動するとき外の風に当たるぐらいだった。
だから、今は天気を気にする事ができる状態になった・・・と言うことだろう。
そんな事を考えたのは、今日、朝から一日中アパートの地下の物置に置いてあった30枚のA2のガラス額に入っている写真を額から出して
ガラスと枠をバラバラにして処分し、8月の引っ越しに備える作業を、ポッドキャストを聞きながらしていて昔、倉庫で働いてきたことを思い出していたからだ。
それにしても、ガラスの額は重い。この額の作品を30枚以上も一人で準備して、遠くの街のギャラリーで最後の写真展をよくぞやり遂げたものだ。
今度引っ越しするアパートの物置は小さく、1ヶ所しかない。今のアパートは地下と天井裏の2ヶ所の物置があり、引越し屋の役得でモノがドンドン増えてしまった。
今日したのは『断写離』だったが、本格的な『断捨離』をする最期で最適なGood-Chanceがこの夏の引越しだと思う。いわゆる『煩悩無尽誓願断』・・・か。
写真家の写真は作品というだけではなく、記録でもある…ところが、良いところでもあり、ちょっぴり甘酸っぱいものでもあって、『断写離』は簡単ではない。
私の記憶ではとっくの間に、忘れ去ってしまっていた事が、写真はその頃の自分の記憶を蘇す装置で、いまさらどうにもできない後悔の念やら、無駄に若い自分の姿
に戸惑うような様々な思いが私の頭に交差するのが、いいのか悪いのか? そういった装置を普通の人よりも後生大事にしているのが写真家であるのだから・・・。
日本でも昔、宇和島の闘牛を撮った。スイスにも闘牛があり、日本のより素朴だった。