1995年にスイスで初めてバトミントン世界選手権がローザンヌで行われたのでよく覚えているが
じつは、私が初めて本格的にバトミントンを始めたのが、ちょうどこの年で私は43歳であった。
それから引越し屋になるまでの7年間、週2〜3回、毎回3時間ぐらいプレーしていた時期があった。
当時はシングル・プレーが主で、ダブルスをあまりしなかったのだから、その体力は今から考えると凄いものがある。
引越し屋になり、バトミントンも15年間休止し、退職後2018年頃から復活、しかし体力の関係でダブルスのみ
それでも3時間を、平均年齢45歳の連中、多い時は4コート16人メンバーが集まりプレーし、進行役を買って出ている
ベトナム人のタン君が、集めたラケットをランダムにコートに置くことで、組む相手と対戦する相手を決めた時の決り文句
『Time is Money!』・・・と叫んで、ゆっくり休む間を与えず、発破をかけるから、この3時間はけっこうキツイ。
復活してから4年目を迎える今日此頃、つくづく思うことがある。
16人集まるといっても、本格的にバトミントンを習った人は自分も含めて4〜5人、ゲストで上手い人が時折来るくらい。
まぁ、若くて馬力があってもテクニックやダブルス特有の動きのセロリーなんかをよく知らない連中とのプレーが基本的に多い。
だから、私はよほどのことが無い限りヘンテコリンなプレーでも文句は言わないことにしている。
ただ、最近気になるというか、面白い・・・と思っていることがあるが、それは同じ人がほとんどいつも同じ『ミス』を
延々と繰り返すことだ。組む相手によっては異常に『勝ち』にこだわる若者もいるが、大半は同僚のミスを許すが
自分のミスも許し、何度も同じミスを平気で繰り返している・・・事なのだ。
まぁ、毎ゲーム組む相手が替わるのだから、一々文句言ってるわけにはいかないけれど、自分で自分を律する気がないようだ。
そんな時、私は禅修行の場で活用されている『喝!』の教えを懐かしみ、それを彼等に教えたい気になる時が正直ある。
それは先輩方が代々、禅の修行の場で言葉ではなく、『喝!』という叫びや行為でもって『その場の集中力』を最高度に高める
方法で、これは禅寺では普通におこなわれているが、娑婆ではなかなか通用しないことなのかもしれない。
しかし、本当に『親切』をおこなうのであれば『喝!』の活用は大切だと思うし、そういった場も西洋でも増える事が必要に思う。

今回初めて日本(東京)でバトミントン世界選手権がこの8月22日〜28日に行われる。頑張れ〜ニッポン!!!