拈華微笑

自ずと示される道は、自ら歩むことで到る・・・自然

新学期かな 2022

  昨日朝 近所を散歩に出かけると 日本で言う小学校1年生? 制服こそ着ていないが背負っているリュックは新品。

  地元では夏休みが終わり新学期が始まったようだ。 

  お母さんが眩しそうに、我が子を見ている。 初々しい気分が感染った気分。

  定年退職の『俺たちに学期はない!』・・・だったら創るべか? たった一人の『新学期』。

 

  仏学・悟学校の新学期。・・・馬骨流。

  先日読んだ仏教学の本に、『大乗仏教は釈迦の仏教とは別物』・・・とのこと。これがいわゆる『大乗非仏説』だ。

  しかし、いきなり『不立文字・教外別伝・直指人心・涅槃寂静』の坐禅修行に飛び込み、『庭前の柏樹子』という

  考えてもどうしょうもない公案を35年、引きずってきた私には、この学者説は正直どうでもいい。

  だのになぜか確信を持って言える、『悟った瞬間』、釈迦の仏教は必ず『大乗仏教』にならざるをえなかった、という事。

  何故そこに確信を持てるのか・・・そういったことを『悟学』で探究してゆきたいと思う、新学期かな。

 

  Youtubeが広深し、『仏教』を勉強したい・・・と思う人が増えていると思う。その人達がぶつかる壁が複雑な仏教事情だろう。

  その点、『禅』は文字通り『単(シンプル)に示す』と書く。シンプルとは『0=無限』で実に『単』純。

  調身・調息・調心・・・で『命が発する絶対(0)の周波数に合わせ、何かを受信するまで3分間待つだけ』だ。

  その行為を私は『観音』と呼んでいる。

      

          Japan・Impactで買ったFanélia女史の素晴らしいイラストの全貌

  この絵を会場で観た時、2017年に初めて京都の伏見稲荷の鳥居をクグッたとき、閃いた事が『考えるな、漢字ろ!』への展開となった

  経緯(いきさつ)を図にした『絵』であると直感した。 私は『辰年』生まれだし・・・、それにMustの『湖』も描かれている。

  インスパイアすること間違いない。