先日、Netflixで『Wild wild Country』という2018年のアメリカTVドキュメンタリーを観て非常に考えさせられた。
精神的指導者 バグワン・シュリ・ラジニーシ率いるアシュラムを1981年に、インドから米国のオレゴン州にアシュラムを移した・・・
ところから様々な事件が起こった一連のストーリーをドキュメントしたもので、『事実は小説より奇なり』を証明したような内容で大いに勉強になった。
ドキュメンタリーの中で、ラジニーシ師は『Osho』と信者から呼ばれるのだが、それが日本語の『和尚』から由来していることを後で知った。
彼の思想的根本には『禅』があるようであるが、『悟り』はあったとしても、いわゆる『(日本式)禅修行』の欠如が後に様々な問題を引き起こす原因と
思われるので、その意味で『修証一如』・・・というのが大切なのではないかと改めて思った。
難解な禅の思想を、現代風に解りやすい言葉で講演や書籍で発表した功績は大きく、それらの『言葉』に魅せられた世界中の若者達を惹きつけたが
『言葉』の裏付けとなる『修行』の徹底の欠如が『円覚』とはならなかった・・・ことをこの事件は教えてくれ、
『悟り』とともに『(禅)修行』の重要な事を改めて認識することができたように思う。
新興宗教と呼ばれる、大半にはこういった問題を含んでいるように思われ、インド〜中国〜日本と時空の中で培われ築き上げた『禅修行法』を持つ
日本の伝統的禅宗のあり方を、禅寺側も一般大衆も今一度改めて検討し、より一層大衆を導く教えとして普及することが、日本のみならず
世界を対象に心の救済の道として貢献することが出来るように思う。
そこで、『生』の字であるが、
インドから仏語としての『Life』を意味する言葉が中国に入ってきた時、『観自在菩薩』は行深般若波羅蜜多時、『観字在菩薩』の姿となって『生』と翻訳した。
それは『牛』と『土(大地)』を融合した文字となり、『生』と表す。
①〜大地に生きる『生きとし生けるものを生かす【土=慈悲】』を表す。
②〜牛の角は二本であるが、それを図柄として一本で表し、『(自他)不二の法門=悟り』を象徴。同時に生き方として『犀の角の如くただ独り歩め』の仏陀の教えをも象徴。
③〜『角』は生きていくうえで『矛』とも『盾』ともなり、『矛盾』で大いなる『?』を人間に与え、人生に『悟り』を促している姿が『生』である。

アイパッドに電子ペンで書いた下手な習字で恐縮であるが、味があるとも言えなくもない・・・図