拈華微笑

自ずと示される道は、自ら歩むことで到る・・・自然

ドラゴンボールを求めて・・・

  ウィキペディアによると、漫画ドラゴンボールが始まったのが1984年(〜1995終了)、少年ジャンプに連載・・・

  私は32歳で、禅修行中であり、同時に鍼灸専門学校を卒業した年であった。

  その後ニューヨークへ行ったり、ヨーロッパへ行ったりして、うろうろしていたが1987年に帰国して本格的に禅修行に励むこととなり、

  同時に夜間のクレジットカード関係のバイトを始めたが、その頃が一番漫画『ドラゴンボール』に夢中になった時期であった。

  住んでいた西小山(目蒲線)〜目黒駅乗り換え〜バイト先の池袋までの山手線電車中で、誰かが読み残した週刊ジャンプを見つけることが習慣になっていた・・・。

 

  この頃だったのかな〜、フリーザとか冷酷非情で滅茶苦茶強いキャラクターが登場し始めたのは?(ググってみると1989年後期であった)

  悟空が修行するために『精神と時の部屋』・・・とかのシーンがあって、物語のベースに『西遊記』エッセンスがあったと思うが

  精神の進化を表現する場面などは、仏教の『悟り』とは言ってないが、明らかに東洋的『道』を彷彿とさせるモノがあって

  心身共に強くなりたいと願っていた少年〜おっさん達は、悟空の成長を自分の事にように見守っていたのだろう。

 

  この『ドラゴンボール』こそは、映画『マトリクス』とは違った表現で、『人間の進化』の可能性について私達に意識させ、東洋に『道』の在ることを

  日本人のみならず、世界中の人々に知らしめた『鈴木大拙』。そして第二のターミネーターとして漫画家の『鳥山明』がいた・・・と言える(馬骨論)

 

  今日、Youtuber『頼むぜ、エディタ』さんの動画を観ていると、『三人の20代後半に見える黒人3人』が、少年の頃いかにドラゴンボールの影響を受けたか

  について熱く語り、鳥山明氏の死を嘆き、冥福を祈っているのを観て、こんな連中とも連帯感を分かつことが出来る事に、今年72歳になる馬骨爺は不思議な

  面持ちにおちいり、嗚呼私も『ドラゴンボール』について書かなければ・・・と思ったのだ。(作者に感謝を込めて・・・)

 

             

  私も最初は、自分がカッコいい『悟空』になった気分であったが、 徐々に、『クリリン』かなぁ・・・となり、

  渡欧後、何時の日かスイス在の友人家族に『亀仙人』に似てる・・・と言われてしまった。 

  いまでは年齢的に間違いなく『亀仙人』であろう。 であれば、もっと鍛えねば・・・。 しかも『ぱふぱふ』も好きだし。