私は最近、誰からも顧(かえり)みられない、私を含めた世のおやじ達によってつい発せられてしまう『オヤジギャグ』の起源について考察。
というのは、何故か自虐的地位に甘んじている『オヤジギャグ』・・・私にとっては本来の言葉とは『ずれた視点』からの生じる『新解釈』の温床
とも言える『オヤジギャグ』に、何かただならぬモノを以前よりずーっと感じていた為だ。
そこでちょっとググってみると、
① 広辞苑〜おやじギャグは「年配の男性が口にする、時代感覚からずれた冗談や洒落」。
② 1990年代までは一般によく使われ、肯定的に受け取られていたが、近年そうした事情を知らない世代の思春期以上のギャグに辟易した若年層によって
否定的なニュアンスで使われるようになった。 (ウィキペディア)
③ 脳科学者の茂木健一郎先生曰く、おじさんたちがおやじギャグを言うのは「脳のブレーキがきかなくなっている」から。
おやじギャグとは、中高年男性の脳の働きにある特徴から生まれる産物だったのです。
1つの記憶から他の記憶を思い出すことを“連想記憶”といいますが、この能力は年齢を重ねるほど上昇するそう。
それぞれ、面白い定義とそれに関する意見が述べられていて興味深い。
①の『時代感覚からずれた冗談や洒落』・・・とあるが、逆に『時代に囚われない』発想が『ミソ』なのだと思うが。
②では、1990年代以降否定的ニュアンスとなった、とあるが、パワハラ、セクハラなど、おっさん世代に対する風当たりが『オヤジギャグ』にも吹いてきた為だろうか?。
③の茂木氏の『脳のブレーキが効かなくなっている』・・・という意見は面白い。歳を重ねるほど、『連想記憶』能力が上昇・・・とあるが、当たっていて妙。
ただ『考えるな、漢字ろ!』を提唱する馬骨としては、『オヤジギャグ』というものが、意外に私達の知らない深淵より起源をなしている気がして
大島正二著『漢字伝来』を読んだが、果たして我らが祖先は、現在の我らのように漢字、ひらがな、カタカナで自由自在に読み書きできるようになるまで
並々ならぬ苦闘を強いられてきた歴史であったことがわかる。
そもそも文字を持たなかった日本人が、中国語文字の漢字を『自家薬籠』として使いこなす・・・ということを考えるだけでも如何に凄いことであるか想像はつく。
例えば、『万葉仮名』であるが、『音仮名』では春を『波流』、秋を『阿伎』。『訓仮名』では懐(なつかし)を『名・津・蚊・止』などと日本語を書き表した
時期があった・・・というのだ。
おそらく何世紀間にもわたって祖先は悪戦苦闘しながら徐々に徐々に、『漢字』に音読み、訓読みなどを工夫しながら日本語として飼いならしていった。
その長〜い歳月の中、私達日本人は言葉と漢字の間の特殊なエッセンスをDNAのなかに『意伝子』として脳細胞に組み込んだのではないか?!・・・と私は思っている。
茂木健一郎氏がいみじくも『連想記憶』能力・・・と言われたが、我々の奥深い記憶の中に、万葉時代より培ってきた『意伝子』による『漢字在=観自在』なる
能力の一端が 『オヤジギャグ』として今もなお、とめどなく噴出する真の理由なのだと思う。
その能力の開花に『無』の境涯であることが、最も高いタイパであることは言を待たない。
『万葉仮名』のイメージで写真を撮ってくれ・・・と相方に頼んだ図(花咲か爺)