拈華微笑

自ずと示される道は、自ら歩むことで到る・・・自然

『極楽情土』の島国

  根っから乗物に弱い自分が露呈した13時間の大阪〜ヘルシンキ飛行を経て、3月14日午前10時頃スイスはジュネーブに到着。

 

 

  もう10年ぐらいは、こんな旅はいいかな…と思えるくらい、クタクタになって我が家に到着すると、

  留守中被せていた小さなテラスのテーブルの雨よけのビニールカバーぐらいは、即片付けまいかと、せっせと働く自分がいた・・・。

 

 

  8年前の2017年、定年退職記念(?)帰国旅行ぶりの帰国であるが、今回の私は以前と比較して圧倒的に『自分なり佛教徒』度が深かまったせいか

  我が日本国を観る眼というか、抱く感想もまた以前とはかなり違うように思うが、まぁ、今回は図らずも『古寺巡礼』がテーマであった事も大いに関係があろう。

 

 

  私にとって仏像を拝観することが『観音』であり、『観光』であったとすれば、一方の娑婆での『観光』も普段より一層『極彩色』に輝いて観え

  何を喰っても美味く、何をしても居心地が良いように工夫されている我が祖国、日本は『極楽浄土』ならぬ『極楽情土』に思えたとき

  私が生活しているスイスが『修道院生活』に思え、愕然とした。

 

 

  今回の帰国旅行をキャッチコピー風に表せば『さり気なくウオシュレット、そして微笑む弥勒菩薩』・・・てなところであろうか?

  日本の『極楽情土』ぶりは、量子力学の『もつれ・重ね合わせ理論』を待つまでもなく、一方で『極楽浄土』の仏教思想が鏡合わせであったであろう

  簡単に言えば・・・『色即是空空即是色』なのだ。

  だから、『空』に目覚めなければ『色』の真価も分からずじまい・・・ということなのだと思う。

 

 

  『アンコ椿は恋の花』をもじって『アンコで唾きは、故意の華』というくらい、饅頭や餅などアンコ系を10年分ぐらい喰った気がして

  もう当分いらないかなぁ…という気分で、スイスでの『修道院生活』も案外悪くないかも・・・とも思えてきた今日此の頃

  私のように欲にまみれた人間は、ヒモで結んだ人参を目前に無数にぶら下げられると、それだけで人生にくたびれてしまうに違いない。

 

 

  だから、仏様はあまりにも欲が深い私を『島流しの刑』として、雪と氷しかない山脈地、スイスに流したのであろう・・・か?!

  日曜日は、店も何もかも閉まり、湖畔や山へ散歩するぐらいの楽しみしかない生活というのも・・・と、ここまで書いてきて

  約40年ほど前、初めてスイスを訪れ、レマン湖畔をガールフレンドと初めて散歩した時、『まるで極楽…』と想起したことを思い出したが、

  何も無い『極楽』と、何でも有りの『極楽』の鮮やかな対比に、今私は面食らう・・・のであった。

 

 

  私自身もそうであったが、現在日本で生活している人々が、自国が『島国』であることを自覚している人は稀であろうと思う。

  今回私は日本を『極楽情土の島国』と観じたが、日本を訪れる外国人は程度の差はあれ皆、同じような感想を抱いているだろう。

  そして、自国日本を『島国』と観る視点を抱くことは、世界を『俯瞰』する視点を得ることであり、『極楽浄土』を建設するうえで重要である。

 

 

           

             今回訪れた東福寺の石庭であるが、これもそういった視点を象徴しているのでは…