拈華微笑

自ずと示される道は、自ら歩むことで到る・・・自然

2025春の彼岸に『弥勒』考

  禅の修行はしたが、仏教学はまったくしていない・・・立場の人間であることは、これまで何度もこのブログに書いてきた通りであり、

  また、先祖代々を引き継ぎ祀るという家庭とは、正反対な家族バラバラな中で育った私は、『お彼岸』という仏教的な慣習などにも接することもなく

  高校卒業とともに、いろいろな意味で自立した生活を送ってきたこともあり普通の意味で、仏教そのものや仏教的な慣習に疎い事を私は自覚している。

 

 

  30歳のときに禅を始めることで、『仏縁』を得たとはいえ、ただひたすら『無』と向き合うだけの日々を10年以上過ごすばかりで

  それが『仏教』とどういう関わりがあるのか・・・といういうようなことに少しずつ自覚するようになったのは還暦過ぎた頃であろうか。

 

 

  それも、『観自在』…などといって、慣習的な解釈や宗派的なものの見方に囚われない、自分勝手な仏教解釈なのが、我ながら恐ろしい・・・。

  しかしながら、これが『禅』というモノの観方なのであろうか?・・・私自身にはどうすることも出来ないが、何故か私なりの解釈が生まれるのだ…。

 

 

  そんな無学な私が、今回プチ『古寺巡礼』することで、短期間にじつに沢山の仏様(仏像)に、ほとんど初めてお目にかかったわけであるが、

  最も魅せられ、絶句させられた仏像は、中宮寺の漆黒の仏像『如意輪観世音菩薩』であり、京都広隆寺の『弥勒菩薩』であった。

 

 

          

  写真右が中宮寺の『如意輪観世音菩薩』、左が『弥勒菩薩』で、ほぼ同じポーズであるが、その佇まい、在り方が他の仏像とは一線を画している・・・

  という風に私には観え、紀元7世紀にこのような仏像を創る仏師がいた事、

  それはつまり、『悟り』をこのように表現する仏教があり、それを解して表現する人が居た・・・ということなのだ。

  『禅』という宗派が日本に至るずっと以前に、その真髄が『伝えられ』『受け止められていた』・・・という当然の事実に私は絶句したのである。

 

 

  中宮寺の『如意輪観世音菩薩』に関して、有名な写真家『土門拳』は、『日本における如意輪観世音の信仰は9世紀の密教流伝以後と考えられるから

       飛鳥、白鳳時代に、如意輪観世音が造顕されるはずがない。その半跏思惟の像容は、やはり弥勒菩薩とするべきであろう』

  ・・・と自身の著書(古寺を訪ねて)に書いてあるのを待つまでもなく、どうみてもこれは『弥勒菩薩』であろう。とは(馬骨)

 

 

  『弥勒菩薩』をググると

  " 弥勒は現在仏である釈迦牟尼仏の次にブッダとなることが約束された菩薩(修行者)で、

   ゴータマの入滅後56億7千万年後の未来にこの世界に現われ悟りを開き、多くの人々を救済するとされる "  

 

 

  ・・・とあり、そんな解釈だから、『56億7千万年』も待たなければ、自身を含めた人々の救済がなされない…のだと私は思う。

  これ『弥勒菩薩』が、意味するのは『永遠の今』・・・という問題であろう。 

  その解答を『弥勒菩薩』は今、その姿で目前に観せているのだ・・・。

 

 

  彼岸というのも、そこを観なければそれこそ『56億7千万年の彼方・・・』の話になってしまう… 。

 

 

  スイスに帰国する日、夕方、奈良JR駅前から関空行きのリムジンバスに乗り込んで、次の大きな交差点にさしかかった時、地上からは観えていなかった

  大きな観音像が、視界に現れ『よく来たね、じゃまたね~』と言ってくれたような・・・図 ↓

          

                 『空色』と棲み分け、色分けしながらも、  自身の働きは色界にあり・・・と観音してくださっている図