拈華微笑

自ずと示される道は、自ら歩むことで到る・・・自然

仁去来の旅

  今回の我々の『奈良の旅』というのは、去年の夏過ぎ、相方が来年の2月に日本に行こう…と言い出し、『では奈良に一ヶ月』と提案したのは私だった。

 

  大きなスーツケースを引きずって、アチラコチラを移動するタイプの旅行はしたくない…という希望は以前から有り、『ゆったりと仏像を眺めたい・・・』

  という漠然としたイメージがあったことで、仏教の都・・・『では、奈良へ』ということになった。

 

  私自身は兵庫県、芦屋の写真学校へ通っていた時代に、一二度奈良に行ったような気がするが、あまり記憶がない。

  相方ニコルも、昔私と一緒に東大寺に行ったような…気がする、という程度の奈良観で、奈良という街がどういった街なのかについてはほとんど無知で、

  私の『仏像を観たい』・・・という希望に沿って賛同しただけで、現実にこの旅が彼女にとってどのようなものになるかは、まったくわからなかった。

  

  私にしても、日本へ出発する2週間前に最悪の『座骨神経痛』に陥り、出発が可能かどうか?危ぶまれる状態であったので、旅の準備というのが出来ず

  かろうじて神経ブロック注射の力を借りて、一か八かの出発となり、とりあえず『奈良の都へ!』・・・ということであった。

 

  しかし、流石『奈良の都』。 冬でも定期観光バスが運行していて、ガイド付き・拝観料込・一名でも出発・・・という条件で

  ① 冬の大日如来坐像めぐり〜浄瑠璃寺・円成寺

  ② 奈良大和四寺巡礼(安倍文殊院・岡寺・橋本屋にて昼食・室生寺・長谷寺)

  ③ 大神神社と飛鳥めぐり(大神神社・石舞台古墳・夢宗庵にて(柿の葉すしの昼食)・キトラ古墳・橘寺・飛鳥寺)

  ・・・に参加することで我々の『古寺巡礼』の骨子とし、

 

  自分達にて

  ④ 法隆寺・中宮寺

  ⑤ 東大寺・興福寺・春日大社

  ⑥ 唐招提寺・薬師寺

  ⑦ (京都)広隆寺(弥勒菩薩)・東福寺(石庭)・伏見稲荷

  ・・・と観てきた。

 

          

  まぁ、駆け足での巡礼ではあったとは言え、結果的に想定外の『巡礼』となり、特に相方にとっては忘れられない『奈良巡礼の旅』であったようだ。

 

  彼女の中で、広隆寺の『弥勒菩薩』との出会いは特に印象深いもので、『この菩薩に招かれて私はここに来た…』と感じたそうだ。

 

  その話を聞いた時、35年ほど前、相方の漢字名を『仁去来』と命名した事に思い至ったが、当時相方ニコルは日本の友人等に自分の名前を

  『ニコラ』と名乗り、まぁ、自分にとっての和名としたらしく、それに対し私は漢字で『仁去来・ニコラ』と命名した。

           

           1990・12月30日…の日付がみえ、そのころ骨董屋で買った『阿弥陀如来像』があり、

           真上に私が頂いた公案『庭前の柏樹子』の短冊、その左に相方の和名『仁去来』の観風先生の書が掛かっている図

 

  この彼女の名前『仁去来』・・・が、今回時空を超えた形で一周して、実現した・・・ように思う。

  私も、法隆寺にどうしても行きたかったのは、

           

  高校生の時に、模写した菩薩に会いたかった・・・からではなかったか?!

  以前、私には仏縁というものが、禅と出会うまで全く無かった・・・と思い込んでいたが、じつはこのような形で仏様は私に語りかけていた。

 

  仁去来・・・というのは、『仁』=『慈悲』という次元において、『去来自在』であることを意味しているだろう。

  その意味では『古寺巡礼』というのは『時空を超えた旅』で、自己の『還暦』の総括なのであろう。