日本旅行からスイスに帰国し、土産話のこともあって先日、友人夫婦(日本人旦那+スイス人奥さん)を家に招いた。
その時に旦那の方が、3月下旬にドイツはベルリンに出かけてベルリン・フィルと共演した13歳の天才バイオリニスト『HIMARI』を聞いてきた…と、
興奮気味に話すのを聞いて、その『天才』・・・という言葉にインスパイアされ、奈良滞在中に受けた印象の中で、ざやざや・もやもやしていた
『聖徳太子』という存在について、自分なりに『天才の存在』ということで腑に落ち、一件落着したことがあった。
『HIMARI』さんについては、数年前に動画で観た覚えがあり、今回の友人の話で最近の彼女の動画を観、ウィキペディアで経歴を観ると
まさに天才ならではの…まだ13歳ながら、巨匠も一目を置く、という名実ともにその『天才』ぶりが紹介されていた。
私にとって『聖徳太子』というのは、かってのお札の人・・・それも千札であったか一万円札であったかよく覚えていない程度の認識であったが
その後私の中で仏教が、かけがいのないモノとなってからは、徐々に『聖徳太子』の存在の重要さに思いが行くようになっていた…が、
それにしても、今回訪れた寺の先々で、『聖徳太子幼少期の像』・・・というのに出会うにつけ、『聖徳太子』という人は、よほど優れた人物であったのだ
という認識に変化してゆき、太子由来の法隆寺、そして私が最も感銘を受けた中宮寺の菩薩半跏像が聖徳太子の母上様をモデルに作られた…などという
話を聞くと、聖徳太子という人物と、母上をモデルにしたという尋常ならぬ出来栄えの半跏像とが重なり、
その場では『天才』という言葉を思いつかなかったのが、このバイオリニスト『HIMARI』の存在を知ることで改めて
『天才』という言葉の重みを知ることになった気がする。
聖徳太子については、斑鳩町観光協会のホームページにこんな紹介が掲載されていた。
聖徳太子は、西暦574年2月7日に、現在の奈良県明日香村で誕生しました。
「聖徳太子」という名は、後世の諡号であり、本名は「厩戸皇子(うまやどのみこ)」だったとも言われています。
皇族として生を受けた聖徳太子は、年若いころから非常に英明であり、592年に即位した我が国初の女帝である推古天皇の摂政となり、
日本の政治の中枢として活躍しました。
特に、個人の才能によって役人の位を授ける「冠位十二階」、
わが国最初成文法といわれる「十七条憲法」の制定や、遣隋使の派遣をおこなったことで、よく知られています。
また、伝来してきたばかりの仏教を篤く信仰し、仏教興隆の象徴となりました。
私個人として、彼、聖徳太子を高く評価するのは有名な『三経義疏』(勝鬘経・維摩経・法華経)の解説書・・・があり、
太子が『維摩経』にも注目していたという点で、私にとって『維摩経』はダルマさん以前の『禅』であると、勝手に了解しているので
聖徳太子も『仏教』をそのように理解していたと共感するからだ。
菩薩が『観音』する姿は、かつての聖徳太子の姿であり、それは『HIMARI』さんに継承されているのでしょう。
『観音』という言葉から、私は『聖徳太子』と『HIMARI』のいわゆる『琴線の共鳴』を観るが、
この事象は、『空(仏性)に目覚めた者は、その色(個性)を最大限に発揮する…』という『人"間"工学』の働きがある。
誰だ!『柿食えば、鐘が鳴るなり法隆寺』・・・なんていう色気のない詩を詠った奴は…