私には子供がいないので、4月が新学期であることを完全にわすれていた。
でも、日本では今まさに新学期であるなぁ〜・・・なんて考えていると、私のブログ引越事件…これを期に我がブログ内容を、禅的なメッセージを発信する、皆さんと共に『道』を深めて行くことができるような場・・・一種の『道場』として機能するような時空間を・・・
考えてみると、もともとそのような『場』を発信したい・・・ということが、私の存在の全てであることを、いま改めて思い出した・・・ということであるようだ。
根がおっちょこちょいなので、いつも一番肝心なことを忘れて、どうでもいいようなことばかりが先行するきらいがあるので、気をつけなければいけないが。
しかし、『禅的なメッセージ』・・・といっても、私の修行レベルの話では『へそで茶を沸かす』レベルであることは重々承知なうえで、それでもなお『道』のあることすら知らずにいる人達に、そういった話(メッセージ)ができるのではないか・・・とは思うのだ。
私が禅修行を通して、禅仏教というモノを思う時、私の眼前の壁に張ってある鈴木大拙の言葉をぜひ皆さんにも読んでみてもらいたい・・・と思う。
『広める、広めぬ、じゃないんだな…。皆が知ってなくちゃならぬ、というわけだ。広める広めぬというと、なにか人為でだな、厭なものを教える、ということになるかも知れぬけど、そうじゃなくしてだね。そういうものをみな世間の人が知っていなくちゃならぬ…。それには宝の持ち腐れじゃ困る・・・ということになりますな』 鈴木大拙『回想』より