相方の両親が他界して最初の復活祭となった先週の日曜日、両親が残した家の庭に私ら夫婦と、相方の姉と、姉娘夫婦それに2歳半になった息子が集い、子供がいる家庭では復活祭に一般的に行う《卵探し》ゲームが行われた。
『復活祭』の一つの象徴となっている卵を庭に隠して、それを子供達が見つける…という非常にシンプルな遊びということになっていて、子供や孫の多い家庭では慣習ともなっている復活祭ならではの風景だ。
スイスに来た初めの頃、相方の親戚宅でこの『卵探し』ゲームにいそしむ子供達を見かけた事があったが、たわいの無い遊びということ以上に別に何も感じなかったものだが、今回身じかに、2歳半の坊やの無心の卵探し、そして見つけた時の尋常ではない喜びようを側から観て共に喜ぶ親やら、親戚の大人たちを観察すると、このたわいない『卵探し』ゲームというのが、『復活祭』に行われる意義のようなものが私なりに観えてきた時、これは単なるショボイゲームなどではなく、無心の子供を観ることで『復活』する人間的なエネルギーの再生…が行われる尊い儀式であるように思われてきたのだ。
『キリストの復活』という宗教行事を、どの程度大人たちが考えているのか、それは一人ひとり違いがあるのであろうが、『復活』という奇跡がじつは『子供と大人』の間でこの場で起きている…という風に観るヨーロッパ人は少ないのかもしれない。
大人たちは、なんだかんだとヒントを与えるのだが…。