人生には、『分岐点』・・・と呼ぶべき事柄が多分いくつかあるのであろうが、私がこの歳(72)になってみて、ようやく『あぁ…あれが、私にとっての、最大の分岐点であったか〜』と認識した事があって、今日はそれについて書いてみたい。
私の写真作品に『Good-by New York 1986 』というのがあって、これまでもブログで何回か紹介してきた。例えば… 還暦ギャラリー『森』 〜 Good−by New York 1986
この作品自体が、ある意味、その『分岐点』のど真ん中に立ち、ビルのジャングルの中どちらに向って行けばいいのか、道に迷って不安いっぱいの私の心境を映し出していると思う。
ただ、長年に渡ってその不安というのが『どこから来るのか?』が解らずに、それこそ禅の公案のように、繰り返し繰り返し、何度も何度も自問していた・・・。
このニューヨーク物語には、じつは決定的な出来事があり、それは自分の恥をさらすようであまり公言したくはないのだけれど、それを話さずして皆さんに了解を求めることは出来ない。
私はニューヨーク滞在中に恋愛をし、アメリカ人女性と婚約(といっても口約束)し、彼女の実家を飛行機で訪ね、ご両親と妹弟さんに大変温かい歓迎を受けたまでは良かったのだが、ご両親の若き日の、それも大変幸せそうな記念写真を何枚か拝見している時、私は私の中で酸欠状態の如く、急に不安に襲われたような気持ちになって、何がどうしたのか…自分でも戸惑うような心境になったが、そんな事を彼等にさとられるわけにもいかず、平静を装っていたが、その後、ニューヨークに帰ってもその事が、頭から離れず、私は彼女と別れニューヨークを離れる決心をした。
身勝手な決意で彼女を苦しめる結果となったことは、今でも心苦しいが、当時の私にはどうすることも出来ず、ニューヨークからスイス、スイスから日本に帰って再び円覚寺の禅門を叩き
こんどは正式に老師の弟子となって参禅の修行をすることになったのである・・・。
今思えば、ニューヨークに渡る前に数年禅の修行をしていたことで、無意識のうちに『色即是空空即是色』の『空』というモノを少し醸成していたわけで、それがニューヨークというそういった『空』の欠片もない街にいきなり行き、婚約者の両親の過去と現在の時間の経過を一気に拝見した時、幸せそうであっても、私が無意識に求めていた『空』の欠如に、彼等の若き日の写真を見た時に、直観的に私は気がついた・・・のだと思う。
『酸欠』ならぬ『空欠』・・・当時、私には必ず『空』が必要であったのだ・・・。
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