拈華微笑

自ずと示される道は、自ら歩むことで到る・・・自然

『宝』探し

 先日、奈良の中宮寺へ訪ねたとき買った『如意輪観世音菩薩』本の表紙の写真を我が書斎に飾りたいと、友人の写真屋に依頼してA3のサイズにパネルにしてもらった。

 

   

       

 

以来眺めるともなく、眺め続けていると、『宝』・・・というワードが湧いてくる。

もちろん、この有名な像はもとより『国宝』なのであるが、そういうのとは違う、私個人が抱く『宝物』…で、これまで『宝物』にはまったく興味を持たない私が、この像の前に来た時、探し求めたことの無い『宝』というものが、じつは『存在』していたと感じている自分自身に衝撃を受けた気がしたのだ。

 

歴史に疎い私でも、7世紀の飛鳥時代というのは相当古い・・・ということはわかるが、その時代にこのような『像』・・・が祀られていた我が国『日本』、そして全くの私見ではあるが、紀元前5世紀にインドで起こった仏教の真髄が、中国や韓国を経て、この『像』として、日本に伝えられた奇跡…が『宝』でなくてなんであろうか、と思ったのだ。

 

私が生まれた1952年の北海道の片隅、北見では、例えば『宝探し』的な発想の童話とか昔話はあったのであろうか?まぁ、貧しい家庭に生まれ育っという環境もあり、幼少時に童話・絵本の類は身辺になかったこともあり、とにかく『宝』という言葉は私の辞書にはなかった。

強いて言えばほぼ30歳になろうという年齢のときに、漫画で『ドラゴンボール』に夢中になっていたことを思い出せば、心の乾きを癒やすが如き『ボール(宝)』を巡っての物語があって、今思えばそれは無意識のうちに発露する『宝探し』であったろう。

 

西洋の『宝探し』は、難破船が海底に沈めた財宝や、古来の王族による財宝隠しなど目に見える財宝探しであるに対し、東洋の『宝探し』は古来より『目に見えない宝』を探すことが前提になっていたように思う。

いずれにしても『宝探し』は基本、子供の『夢』であり、『遊びの基本』であったと思うが、

西洋ではそのような『遊び』は大人になるとともに消えるのに、東洋ではそれは消えなかった…ところが重要な点で、日本では『宝』は『見えないモノ』であったことと、その『見えない宝』を探すというロマン物語が『漫画』という媒体で幼児期だけでなく大人になってもクリエイティブな形で手を変え品を変え…提供してきたという独特な事情があるように思う。

 

その幼い『宝探し遊び』は、いつの日か東洋の『道』へと延長する可能性を秘めながら、日本文化の中でアニメは世界に向けて大きく成長していったのでは。

 

西洋では、大人になるにつれ断ち切られた『宝探し』の童心は、日本にきて未だに様々な形で活き活きと活動している様子に海外の人々は魅せられるのだ・・・。

 

 

 

 

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