2ヶ月前ぐらいに、Youtube動画『スナックおけい』でコラボしたおけいさんが、先日自分のFacebookに自己の『Youtubeチャンネルのジャンル』について、『エンタメだと腹を括って、進めばいいんだね…。』ということで、ジャンルを『エンタメ』に決めた話を書いていたので、私はすかさず『縁の為だから、縁為(エンタメ)でいいんじゃない!』と、いつものオヤジギャグ風のコメントを送ったら、彼女に気に入ってもらえたようだ。
英語のエンターテイメントを『エンタメ』と短略して、使い回す日本人のセンスも凄いが、それをさらに『縁為』と何でも『仏性』につなげる我がセンスにも呆れる。
私の言う『縁』とは、もちろん仏教で云うところの『縁起』であるが、この『縁起』という言葉で、忘れられない事があったことを思い出した。
2010年に購入した松岡正剛著『花鳥風月の科学』の中で、『私はブッダの思想を一言でいえと言われれば、ためらうことなく「縁起の自覚」であったと云う風に集約したいと思います』…と言い切っているのを読んだ私は、そう言い切る事ができる松岡正剛という人にビックリしてしまった。当時、数ある仏語の中でも最も理解できない仏語が『縁起』であった私にとって『縁起って何なんや・・・』とこの言葉を書いてあるページを恨めしく見つめていた。
今思えば、『悟り』が『縁起』であり、『縁起』が『悟り』であるのだから、私が解らないのも無理はないが・・・。
今年の2〜3月にかけて日本に7年ぶりに帰って、奈良市内で一番大きな本屋(啓林堂、蔦屋)に行った時、どちらの書店でも店員さんが『松岡正剛』の名前を知らない、のを知って驚いた・・・というか、ちょっと悲しくなったが、知る人ぞ知る的存在であった松岡正剛氏について改めて思いを馳せた。
彼が生涯をかけて研究し、発表し続けた多様な分野での仕事の全ては、ブッダの『悟り』というようなモノを『仏教』という枠をも超え、東洋思想と捉えたモノと一般大衆との『縁起』を結ぶ『為』のエンターテイメントでなかったかと思う・・・。そして、その『縁為』を最も楽しんだのは彼自身であったことは、知る人ぞ知る…である。
私の『東洋自分なり研究』という適当な名称の元祖みたいな人がいるとすれば、まさに『松岡正剛』氏こそその人であろう。ただし、私の『自分なり』と、彼の『自分なり』では次元が全く違うことは言うまでもないが・・・。
この動画で、私が話している内容には、松岡正剛さんの提唱する『編集工学』の影響が濃くみられる。 私自身はそれを意識していなかったが…
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