今年新春(2〜3月中旬)の奈良の旅で、2冊買った松岡正剛著のうちの一冊『知の編集工学』を昨日から読み始め、プロローグと第一章を読んだだけであるが、インスパイアされた。
彼の本はいろいろ読んだが、彼の真骨頂『編集工学』について、真っ向から取り組んでいる著書は初めてで、彼自身の言葉で『人間にひそむ能力』・・・とか、『脳の中には格別とびきりの《エディターマシン》ともいうべきものが隠れている…』とかいう言葉を直接眼にしたのは初めてで、『やっぱりそうか〜』と思うと同時に、私自身の『漢字方程式』がマトリックス・コードとしてバラバラと降り注ぐ光景を思い浮かべたのだ。
松岡正剛氏は、『悟り』とか『仏性』とか佛語は使わず『人間にひそむ能力』と言っているが、それはコンピュータが不完全であることを指摘する記述の中で『コンピュータをすぐに人間に近づけようとしないで、むしろ人間にひそむ能力をもう一度考え直すのがいいのではないか・・・』という文脈で発言していた。
やはり、彼も『AI知』の出現でIT(情報技術)の進展でむしろ混迷する世界を見据えての、ある種『般若智(人間の叡智)』の必要性を説くための『編集工学』を提唱したのではないか。
そこまで考えたとき、私は長年こだわりながらもう一つピンとこなかった映画『マトリックス』の謎が解けた・・・と思った。
映画中の『マトリックス・コード』というのは、仮想現実を作り出すために編集されたコードである…ということを主人公のレオが『悟った』結果、観えてきたコードで、人間を騙すためのモノであったが、そうすると、有名なお経『摩訶般若波羅蜜多心経』というのは、仮想現実を『仮想』であると喝破し、『悟る』ための『心経・コード』であると言える。
坐禅・修行で長年の『仮想現実社会』での知識の蓄積で隠れた『人間にひそむ能力=仏性』を掘り出すには、知識の『断捨離』を徹底し、磨きに磨きをかけて『無理会』に向けて修行専念する時間を持つ・・・つまり道場での修行が、やはり必要になると思うのだ・・・。
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