じつは、私の二十代はひたすら『写撮道』に捧げ、自称『撮人家』というほど、写真のテーマは『人間』一本、白黒で、フイルム現像から引き伸ばし現現像まで全部自分でやっていた。
私の写真では喰えない…という自覚をした28、9歳の頃、人生の滑り止め的意味もあり、手に職を・・・という狙いもあって、鍼灸専門学校に入学するのだが、東洋の追求は医学にとどまらず、師匠の勧めもあって禅を始めたところ、学友の誰よりも熱心に坐禅をするようになり、最後は、鍼灸も、写真もどちらかというとうっちゃった風で、ひらすら坐禅する青年であった。
そういったようなことで、30代後半から、50歳代まで、『写撮道』から離れていたが、50代で引越屋の職を得、スイスでの生活も安定した頃から、再び『写撮道』を夢見てデジカメ一眼レフを始めたのだが、写真界は何もかも変わってしまい、私は完全に『浦島太郎…』状態であった。
しかも、昔のように『人』を路上などで勝手に撮影できない『肖像権問題』などがあって、自由に人を写真撮影ができない・・・というのだ。
私は昔のように新品のカメラを肩から斜めにかけ、『一体何を撮ったらいいのだぁ…』と途方に暮れて歩いていると、眼の前の路上に茶トラ猫が現れ、『私を撮りなさい・・・』と言わんばかりに、甘い視線を私に投げかけるので、私はつい反射的にそれを撮っていたのだ・・・。
それがこの写真・・・以来5年ほど猫ばかり撮る『撮猫家』となったのである。
そこで一句
カラーで、しかも『猫』の写真・・・昔の自分が観たらビックリするような変化というのは、全てデジタル時代突入という時代の激変がキッカケとなったわけであるが、それまで私の写真の題材にはならなかった、『人』以外のテーマ・・・というようなところに眼が向くことになり、それは、撮り溜まった猫写真で写真展をする際に『花鳥風月』ならぬ『花猫風月』というタイトルで展示することになり、それが松岡正剛著の『花鳥風月の科学』などを読むキッカケともなったのである。
思えば、2011年にスマートフォンを買って、友人の勧めで『ツイッター』を始めることにしたが、その時も、ツイート内容は『俳句』のみで、そういう風に見れば、IT技術の革新は、私自身の『花鳥風月』のような『東洋文化』開眼へのキッカケとなっていった…というのは偶然なのか必然なのか・・・なんだか不思議な気がする。
私は普段、『禅・Zen・ぜん』・・・といっているようであるが、一方でその禅が育んだ『花鳥風月』のような、『和風味』たっぷり…、つまり渋いのにダイナミックなクリエイティビティあふれる創作活動・・・というようなモノにも大いに関心を抱いている者である。
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