今日、12日は私の73歳の誕生日です。
最近Youtubeで年金動画を時々観ますが、年配の男女が年齢を聞かれて答えるに『83歳』、『86歳』、『89歳』などと、何事もなかったかのように淡々と答える老人たちの様子を拝見して、彼等からみたらまだまだ若造の域を出ない私は、何か感慨深いものを感じるのです。
還暦を過ぎたとき、『片足は棺桶にあり』…と、いつ死んでもおかしくない年代に突入したと自覚して以来、毎年毎年の自分の誕生日を『自祝』する気持ちというのが、だんだん強まっている気がしているので、世のジジババ様方が平然と(中には誇らしげに)自分の年齢を答える裏には、それぞれに長い人生ドラマがあったことを想像すると、それだけでも『立派!』と思ってしまう自分がいる。
世は長寿時代…などと浮かれるが、実際この歳になると、『長寿』というのもが、そう簡単なことではないとがわかってくる。
ところで、今日73歳の『歳』をじっくり観るに、『歩みを止めて、示された自己の年齡を噛みしめる』・・・というような『馬骨解字』が出てきて、それって普段私が言っている『還暦スキャン』と同じシステムが自分の年齡数に『歳』をつけて、毎年の『人生スキャン・システム』が組み込まれている・・・のではないかと言う風に考えると、やはり自分の年齡は自分でしっかり『自祝』し、それぞれの年齡の重みを噛みしめる日・・・という意識を持つと、人生も何かと変わるような気がする・・・。
73 我が生誕を 自祝せば テラスの薔薇の 赤くほころぶ… :馬骨
『喫茶去(きっさこ)』(まぁ、お茶を一杯)的に、自分の誕生日に歳(歩みを止めてみて自分をかえりみる)日として自己の人生をスキャンしてみたら、『畢竟帰処』(ひっきょうきしょ)という昔に禅書で読んだ、四文字熟語の禅語がふと浮かび、『ああ…あの時、私にも帰る処があったのだなぁ…』と唐突に、二度目に円覚寺を訪ね、老師のもとで修行することが出来た自分の境涯のめでたい事を、今更ながら改めて思い至り、まさに自祝。
下に掲載したブログ記事、『空欠の街』の話は、ニューヨークで『迷子』になった私の体験を記したものだが、あれは実はかなり深刻な『人生の迷い』であったのに、私はそれを自覚せずにいたが、それでもだましだまし禅寺に再び帰って来た・・・話であったが、今日私は、それが『畢竟帰処』であったと解ったのだ。
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