前回ブログタイトルに『ディープラーニング』という一見今風なので使ってみた単語。
もともと横文字に弱いのに、昨今次々に聞いたことのない横文字がIT系のお兄さん達が、知っていて当然と言わんばかりに【Yoko-moji】を口にするので、Youtubeを観ていても、何がなんだか…さっぱり解らないながらも、馬骨なりに、それと全く違うコンテクスト(文脈)で解釈しては、『はは〜ん』という感じで、今のテクノロジーの進展を見守っている。
そんな中、『ニューラルネットワーク』という響きのいい言葉が気になって調べると
「ニューラルネットワーク(Neural Network)」とは、簡単に言えば、人間の脳の働きをまねして情報を処理するしくみで、AI(人工知能)の心臓部ともいえる技術(Chat-GPT)
しかし、実際のことを言えば、人間の『脳』について、人間自身がよく解ってない現状を思えば、笑止千万な気もする。
しかし、これらのことを考えていると、なんとなく『無』という漢字について、『無』なのにやたら字画数が多く、一見複雑な文字に観える理由が観えてきたのだ。
最近私は、松岡正剛氏の著書『知の編集工学』を読んでいる最中であるが、
『「情報」は生命とともに生まれ、「編集」は生命とともに開始した・・・』という一文に出会い、彼の提唱する『編集』というのが、そこまで掘り下げて考えられていることに、感銘すると同時に、『禅』がいうところの『無』というモノも、『編集』と関わっているのでは?!と考えたとき、松岡正剛氏の『編集工学』とAiの『ニューラルネットワーク』と禅の『無』と馬骨の『間』が、私の中でネットワークした。
ゆえに馬骨の『無』の佛語解字としては、坐禅で『無』になる状態というのは、じつは物凄い勢いで『編集工学』機能が作動している状態なのだと思う。じっさい、初心者は『無』になるどころか、頭の中は『大混乱』を引き起こしているではないか。それを『無』の機能は、徐々に徐々に整理して行き、ある時、スッと『無』になり、さらに風穴が開けば『空』を観る。
・・・そういった信じられない複雑な作業を『無』は担っているゆえの『無』の字なのだと思う。
『知の集積』に命をかけてきた学者様には、『知の払拭=無』に命をかけて『覚醒』した仏陀の『智慧』は、なかなか解るものではないのかも・・・しれないが。
私が『ノギヘン』と名付けた、湖に茶柱のように浮く木の枝
『 無宗教 禅を始める 前までは 行じて後の 無宗教かな 』 馬骨
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