拈華微笑

自ずと示される道は、自ら歩むことで到る・・・自然

馬骨・佛語解字 〜 『侍』の字

 私が二度目にヨーロッパに来た時、私は多分34、5歳であったろうか。

日本で習い終えた中国の気功体操『練功十八法』を現地スイスの有志の人々に教える場があたえられたが、今から思うと若気の至り…で、居士林仕込みの禅修行そのままの、『喝あり、身勝手な言動を一切許さない・・・』という、私の体験した日本式(禅)道場の再現を目指した週一、全5回の講習会だった。

 

集まった有志というのが案外多く、20〜25人ぐらいであったろうか。当時私はバカ真面目丸出しで、真剣な面持ちで彼等を怒鳴りつけたりして、禅道場そのものの厳しさを要求した…。

集まった人達は私と同じくらいな年齡(33歳ぐらい)か、少し年上で、女性もいたが2/3は男性だったように思う。片言の英語、身振り手振りの説明でなんとか気功体操を教えているとき、なんとなく私は自分が日本を代表している者のような気になり、どこから湧いてきたかと思うほど、愛国心に満ちている自分自身に驚き、これは私が禅とか修行した者だからなのか?或いは、誰でも自国を離れて外国へ行くと、自然と愛国の情が湧くのか・・・不思議だった。

全5回の講習を終わってみると、途中でやめる人もなく、全員最後までやり通したことに、正直私は驚いた。私は自分がやった方法が、彼等には奇異であることを知っていたが、習ったそのままを彼等に伝えたかった・・・。逆に言えば、私が彼等に見せたやり方というのが、実に東洋的で、ある意味『新鮮』であったのだろう。

或いは、黒澤明の『七人の侍』を観たスイス人がこの中にもいたかも知れず、彼等は日本人である私の中に『侍』を観ていたのかもしれない??

自分でも意外なほど愛国心に燃えていた私は、はたして『侍』になりきっていたのか? いやいやまさか『侍』を意識したことはなく、ただ『無』に向かう者・・・つまり禅者として『道』へ向かう向かい方を示したかったのだと思う。(当時の私を弁護すれば…)

 

映画『七人の侍』や『ラスト・サムライ』などの影響もあり、欧米で「侍」という言葉は、「強さ」「誇り」「精神性」「伝統」といった日本的価値観を称えるイメージであるが、一方「侍」が実際にどう生きていたか、日本社会における位置づけや歴史的背景まで深く理解している人は少なく、表層的なイメージで語られていることが多い、かくいう私もそんなレベル。

 

さて、前置きはこれくらいにして、

『侍』の佛語解字であるが、『人偏+寺』・・・というのが、じつに面白い。

『侍』が歴史に登場したのが、『禅』の興隆した鎌倉時代と重なるところが妙であるが、それはそれとして、『寺』という字が『無理会に向って究め来たり究め去るべし…の場』であるとき、その精神を持った『人』が『侍』であろう。

そうしたとき、『侍』は馬骨風に言うと『去無来(さぶらい)』の仏性を持った者といえそうだ。

        

      『侍』というより『去無来』の道へ大きく踏み込んだ頃の馬骨図

 

 

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