拈華微笑

自ずと示される道は、自ら歩むことで到る・・・自然

馬骨の結婚観 …

ちょっと格好つけて『馬骨の結婚観』なんていうタイトルをつけたが、『結婚観』など正直考えたことがあったであろうか?

先日Youtubeで、Pivot『【若者が結婚しない理由】中国・韓国・台湾のリアル』と題したテーマでそれぞれ3カ国から男女2人の結婚前の若者が、それぞれのお国の結婚事情を交えながら自分の意見を出し合うという番組を観ていると、案外にいまだに親の干渉というのがあって、私が結婚に至るまでに交際した何人かの相手に関しては、親の干渉というのが全く無かった・・・ことに思いがいたり、今のようにスマートフォンやインターネットのなかった1970年代、80年代に結婚適齢期を迎えていた我々世代とのいろいろな点で今昔の思いが湧きブログテーマにしてみた。

20歳になった頃の私は、何もかも脱皮した抜け殻を生まれ故郷の北海道に置き去り、全くの新天地、神戸から自分の生き方を探り始めた・・・というような事になり、全くの一人ぽっちであったから『家柄』とかいう問題は、最初から私の辞書にはなかったのだ。

いくつかの短い出会いの後、26歳だったか、初めて恋愛のような関係をもった相手が、オーストラリア人女性であった。その後、私は海外に行く…という意思があった為なのか交際した相手は皆、西洋人で、彼女等は皆一様に私という人間を観て交際相手として認め、私の『家柄』を問題にした女性は一人もいなかった。私はそれが当たり前と思っていたので、その事をなんとも思っていなかったが、今思うと、その点でも私は実に『馬骨』で、本当にどこの馬の骨野郎・・・であったであろうか。

携帯もなく、インターネットもない時代、一つ一つの出会い・・・というものがそれこそ一期一会ではないが、大切(当時はそんなことも気付いてなかったが)であった事を思うと、それこそ『引き寄せ』の法則などの赤い糸をたどるようなスリルと快感があったのかもしれない。

それにしても、私は今の携帯やインターネットの時代がなんとなく羨ましい気がするのは、数々の妄想体験が未だに『取らぬ狸の皮算用』をするからだろう・・・か。

  結局、紆余曲折を経て、この人と出会ったわけだが・・・(秋の様な服装だが7月半ば)

 

 

 

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