Youtube動画をみると、その1/3は『AI』関連の動画で、『AIの使い方』・・・なんていうタイトルをみると、禅者としての自分は、『それ以前に地米(自分)の叡智に、まず気が付けよ…』なんて思う今日此の頃。
そういった『人間自身の叡智』・・・仏教的に『悟り』と一般的に言っているが、調べると実に様々な表現があって、それが仏教の『悟り』周辺を逆に解りにくくしている原因ではないか?
とは思うものの、 別な視点からみれば、時代や状況に応じて用語を変化させる柔軟性を持ち合わせているのが禅(仏教)…という風にも考えることができ、『AI』一辺倒の時代にふさわしく、また十分それに対応する『人間本来の叡智』を表現するに、般若心経から拝借して『般若インテリジェンス』・・・略して『HI』と称することを提案するものである。
『AI』と『HI』・・・併記してみると、言葉に観自在な私には、日本語の『愛』と英語の『ハイ』という、挨拶が交雑して、また別な視界(これをパラレルワールドというのか)で意味合いを読み取ると、
『AI』が究極的に模索しなければいけないのは『愛』であり、『HI』が『自他不二』の心がけで、親しみを込めた挨拶の象徴となるほどに、『般若智』が人類にとって、身近な智慧として日常に活かして使い回すレベルに展開すべきもの・・・として、注目すべき時代なのではないだろうか。
なんぞと考え、『AI』に振り回される心配がある今こそ、『HI』の覚醒が急務なのだと思う。

我が村の山側は、ワイン用のブドウ畑があり、ブドウがたわわに実っていた図
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