先日、私が所属しているゆるやかなスイス在住日本人会『Care team japan』主催でZoom会議があった。テーマは『日本とスイスの老人ホーム事情』・・・というような内容。
私たち夫婦も、相方の両親を老人ホーム(スイス)で最期を看取ったので、スイスの老人ホーム事情は若干しっているつもりだが、日本はどうなのか…という興味があってこの会議に参加したわけだが、日本のホーム事情を知っている人の話を聞いても、結局は様々な事情が重なっている老人ホームの現状を考えると、どこも同じ様な問題を抱えている…かなぁと思った次第。
そういった高齢化にともなう様々な問題・・・というようなものを考えると、ここ数年実際に相方の両親の老化の過程をつぶさに観てきた感想としては、仏教で言う『諸行無常』という言葉の響きの中にある、自然の摂理の無情というか、非情なまでの『一切皆苦』の詰め合わせセット…『生老病死』の恐怖が高齢期という時期にその圧縮版として一度にドッと押し寄せて…くるような気がしたのである。
そもそも心身ともに元気であれば、『高齢期』そのものに『問題』があるわけではなく、高齢化するほど、心身が思うように機能しない・・・ところが問題なのだ。
だとすると、この問題は、若い時に準備できる事はしておくことが大切ではないか…という結論に落着するわけだが、『心身』の特に『心』の方は、高齢になってからどうこうすると言ってもなかなか簡単にどうすることもできないわけで、『病は気から』とすると、『気』というのは『心持ち』のことであるので、やはり若い時に『修行』をして、『心持ち』に『腑に落ちるモノ』を心持ちとする事が大切ではないのか、と思うわけだ。
してみると、普通『正念場』というと、最後の最後的意味合いで使われる言葉の気がしていたが、人間にとって『正念場』というのは、どうにかできる年齢のうちにする『場』のことを言っていたのかぁ・・・と、思う今日此の頃。私の場合はそれは三十代であったのだ。
今日、フリブールの美術館で展示されている、塩田千春さんの作品を体感
『 塩田千春 1972年、大阪府生まれ。ベルリン在住。
生と死という人間の根源的な問題に向き合い、「生きることとは何か」、「存在とは何か」を探求しつつ、その場所やものに宿る記憶といった不在の中の存在感を糸で紡ぐ大規模なインスタレーションを中心に、立体、写真、映像など多様な手法を用いた作品を制作。』
・・・の一文が、彼女のホームページにあった。

私は今日、塩田千春さんの正念場に絡め取られたのかもしれない・・・の図
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