拈華微笑

自ずと示される道は、自ら歩むことで到る・・・自然

 縁は『円』結びの素粒子(赤い糸理論)

禅はまさに【全・然・善】・・・のすべてを意味する。

宗教も哲学も科学も何もかも凌駕して『直指人心』するものなのだ。

『直指人心』していれば、観自在菩薩に『境目』は無く、あらゆる分野の言語が『佛語』に化覚(かがく)して、『衆生無辺誓願度』に資する言葉となる…。 (馬骨曰)

 

禅僧が描く『円相』は般若心経でいう『般若波羅蜜多=般若到彼岸(般若智の完成)』を図式化したもので、仏性が『欠けることなく、余るとこなし』であることを表している。

そうした玉(円)として生まれた赤ん坊が、『幼子が 次第次第に 知恵付きて 仏に遠く なるぞ悲しき…』の短歌のごとく、自我を確立する過程で『円』は気づかないうちに欠けていく。

その過程の中で『諸行無常』で『一切皆苦』に思い至ったとき、『縁』が『起(飛躍)』を促す・・・その『声(音)』に耳を傾ける状態(無)が必要になる。

そういった現象を表したのが『道』の字なのだと思う。

 

ここまで適当な『 語巧(ごたく)』を宣う場(ブログ)があるのは痛快だ!!の図

 

赤ん坊は『円相』で生まれる。
やがて自我を確立したとき、欠けた『円相』に帰郷するための『縁(赤い糸)』が、円芯を求めるように『道』として我々に働きかけるのだ。
 
 
 

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