私のブログタイトルに『マトリックス』と書かれたモノが13個もあった。
映画の公開が1999年だから、そのとき私は47歳…で、今73歳のジジイになっても『マトリックス』に自分なりに関わってきたわけだ。
そこには、映画『マトリックス』のコンテクスト(文脈)と私が探究する禅のコンテクストの何かが非常に似ていながら、何かが全く違うような気がして・・・いたから、ここまで関わって来たのだと思う。
映画『マトリックス』は、実際のIT(情報技術)の進展にともなう『仮想現実』の概念を元に作られたストーリーであるが、宗教・・・中でも『禅』は『本来の自己』などと言って、現在の自己が真実の自己では無い…如く言い放す、解ったような解らんような人を煙に巻くストーリーにみちみちている。
禅の修行を始め、私が最初に買った禅書はよりによって、鈴木大拙著『Living by Zen (禅による生活)』で、その内容は徹頭徹尾『公案』という禅問答集であり、何がなんだかさっぱり解らなかったが、
今思うと映画の最初の部分:コンピュータの前で居眠りしていたネオに『"Wake up, Neo...""The Matrix has you...""Follow the white rabbit."』・・・という導入で、異次元のどこかにつれていかれるようなワクワク感というのは、禅問答には感じなかったものの、『異次元』の門前で立ち往生している感はあった。それもなが〜いあいだ。
今思うと、鈴木大拙は私にとって異次元にいざなうモーフィアスだった。
彼の禅書を通して大量の公案(禅問答)を読み聞かせ、『悟り』という異次元の存在することを私に必死に伝えようとしていた・・・。この時点で私が解ったことは鈴木大拙氏の『伝えん』とする熱意だけであったと思う。
今私は、『仮想現実』のマトリックスではない、現実の『マトリックス』について、自分なりの意見を持っているが、それは禅修行のおかげであり、鈴木大拙氏のおかげでもある。

映画『マトリックス』には、沢山の人がモヤモヤ(イライラ)させられているだろう。禅をやっている私でもそうなのだから・・・。『何かが(現実)として、おかしい・・・?』と思っている人、気が付いた人には、ぜひ『禅問答』を沢山読んでみて欲しい。そのうえで参禅も視野に考えてして欲しい…。
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