前回ブログで、『仏』への意識のベクトルが内向き・・・であることを書いた。
その結果が、日本の伝統文化を形成している主要因であると私は思っている。
そこには何があるのだろうか?・・・
『仏』であり、『仏性』ですよ…と、仏教関係者は2500年に渡って現在にまで言い伝えてきたのだが、今の仏教関係者の90%は葬式やら法事などで忙しくして、『仏ベクトル』のその先に何があるのか、というような探究や伝達活動をおろそかにしてきたのではないだろうか…
と思う今日此の頃。
そもそもの話であるが、『悟り』以前の釈尊が命懸けで、『悟り』へと立ち向かった、決して諦めることなく・・・そこには一体何があったのであろうか・・・という私の長年の素朴な『疑問』、その『疑問』の中にこそ解答があったのではないかと今思うわけだ。
私達が住んでいる世界は『4次元』で、線の1次元、平面の2次元、立体の3次元それに『時間』を加えたものが『4次元』であるが、それでは人間が生きる世界としては何かがかけている・・・ことを釈尊は『直感&直観』して、『4次元』を超えた『予次元』の存在を確信していたのではないだろうか・・・と私は思い始めている。
『予』の字は、①時間の先取り〜『あらかじめ』『事前に』という意味(予定 予見 予兆)
②主体性〜われ(我)という意味の古語
③与える、授けるの意味を内包〜『縁起』が関係を授ける
・・・というようなニュアンスから『予』の字が浮かび『予次元』とし、
『予』にはまた、『空』としての『余』と『縁』としての『与』が含まれているだろう。
漢字方程式としては、 予次元=余(空)x与(縁)=間(生命場)・・・仏性
仏性に目覚めた者が観るのが『予次元』で、私が『悟り』を『郷里』と再解読を提唱する理由
〜 アイデンティティ(Identity)を本来的に希求する人間性に、『予次元観』がもともと備わっているからに他ならない・・・のだと私は思う。
そしてその『予次元観』が、『般若智』であり、
人工知能『 AI 』に対峙する人間の叡智『 HI 』なのだ。

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