拈華微笑

自ずと示される道は、自ら歩むことで到る・・・自然

 昇華の『華』

人間は何のために生きるのか?

・・・こんな深刻な問を抱く前に、『禅』に出会ってしまった私。

修行中は無理会(むりえ・・・つまり無)に向かって、全力だった為か、このような問も浮かぶ前に刈り取ってしまっていて、考えたこともなかったっけ。

 

39歳のとき、修行を打ち切って渡欧したが、それまでしっかり仕込んでおいた禅・発酵菌をゆっくり寝かせ、熟成させるべく現地の生活に、仕事に勤しんだところ、65歳で定年退職する頃には少しは熟成していたのか、Chat-GPTという『AI』ほどではないにしても、問えばそれなりに応答する『HI(般若智)』機能を作動させている今日此の頃。

 

『人間は何のために生きるのか?』・・・の問に対して、現代のある禅僧は『そんな目的のようなものは無い』と答えたという話をだいぶ前に聞いたことがあったが、禅僧のくせになんと色気のない返答かと、私は思ったものだ。

いにしえの仏教徒は、煩悩から菩提が育成するという意味で、泥沼から咲く蓮華の『華』を尊重しているし、法華経や華厳経などの経典も『華』と題しているところが仏教の実に有難いところであると、私などは思うとこであるのに。

『煩悩即菩提』と『煩悩』をないがしろにせず、むしろそれがあるからこそ美しい『華』を咲かせるのだと考えると、そこにこそ仏教の原理(佛理)『慈悲と智慧』という、『慈悲』という美しい『華』を、『煩悩』という汚れた泥沼から咲かせる為に『智慧』の働きの大切な事を、『慈悲』と『智慧』表裏一体としている佛理・・・それが仏教であるからこそ、『色即是空・空即是色』とそれぞれが咲かす『華の色』についても般若心経では『即是空』と観じていところを見ると、『人間も華を咲かすために生きている』・・・という答えが観えてくる気がする。

 

          

      物欲が 佛欲までに 昇華せば 君に捧げん 一輪の華 : 馬骨

 

 

 

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