拈華微笑

自ずと示される道は、自ら歩むことで到る・・・自然

もう一つの環『観』境

先日来、『予次元・観』などと、いい加減な事を言い出し、そういう『次元』に覚醒すべく結界的象徴がふんだんにある日本に比べ、私が住む欧州では皆無のような気がしている今日此の頃、そういった環境の違いについて想いを寄せてみた。

 

冷静に考えてみると、私がいう『予次元』・・・というようなものは、宇宙船か何かに乗って遥か彼方へ行かなければならない、というようなものではなく、今すぐにでもここで『坐』を組めば瞬時に現前する『次元』であることを考えると、『予次元』へ向かう『観境』ともいうべき『環境』を整えさえすれば、誰にでも今すぐ実現することが出来る・・・と、まで考えた時、問題はそれを指導する人間がいるか、どうかだよなぁ〜、とは思う。

 

日本には『結界的象徴』がふんだんにある…とは言ったが、実際に『結界』を踏み越えて『予次元観』にまで行った人間の比率を考えると、『結界の門』がいかに狭き門であるか、その在ることに気が付いて、奨励する大人が何人いるのか・・・と考えると…。

 

しかし、『何事の おあしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる』と詠った西行の気持ちを汲み取る日本人は少なくないと思う。そしてそこにこそ私のいう『和風』が吹き起こる余地というものが在ることも事実だ。

 

9月、10月にかけてスイスの小都市などで日本人主催による『日本祭』が毎年行われるようになり、それも年々盛況のようであるが、和食や盆踊りなどからより求心的な次元の『和風』が起こって欧州の人々の間にも『観境』につながる環境作りの一貫としてその役割を深めていくことを日本人に求められている・・・のかも知れない。

 

    

 レノンの歌『Imagine』の世界は、環『観』境の実現なしにはなかなか難しい・・・

 

 

 

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